4.東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題について

 

 1946、バルトは、「バーゼル大学学長の職の要請を断って、夏学期だけという限定においてではあったが、ドイツ再建に尽力するために、バーゼル市教育局から有給休暇を与えられて、客員教授としてボンに帰ることになった」。何故ならば、世界大戦後のバルトは、「世界的な課題を担うために第一に、『教会教義学』の完成を目指すという道第二に、ドイツにおける諸般の問題に対する……直接の協力や、他の諸国においても時折要求される協力を、個々の具体的な機会のみに制限するという道第三に、食糧等の物質面でも援助の努力をするという道を選んだ」からである。

 バルトは、「大戦後のヨーロッパの状況認識の一つを東西陣営からの深刻な脅威〔米ソを中心とした東西冷戦構造〕に取り囲まれた中にあるという点に置いた」。バルトは、「西ドイツ初代連邦首相のコンラート・アデナウアーとの話し合いにおいて、彼に対して、キリスト教民主<党>の結成はよくないと強く警告した」。何故ならば、バルトは、教会がそれぞれの時代・それぞれの世紀において、その時代と現実に強いられて現存している限り、「教会と政治的課題との間には<不可避的な>関係があるとしても、〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性を目指すべき第三の形態の神の言葉である〕教会が自由な・なにものにも依存しない言葉を宣べ伝えるために、その〔<不可避的な>〕政治的課題をキリスト教<政党>〔キリスト教という名を冠した権力、カネ、利害にまみれた<政党>〕を結成するという方法で解決すべきではないと考えていたからである〔換言すれば、その<不可避的な>政治的課題を、それが西方のそれであれ、東方のそれであれ、どこどこのそれであれ、大多数の被支配としての一般大衆・一般国民のそれぞれがそれぞれの資質、感情、職業、生活、信条、意志、構想をもって具体的に生き生活している現実的な社会に第一義性・価値性を置くのではなく、観念の共同性を本質とする国家<共同性>に第一義性・価値性を置く<国家主義>を前提とした擬制民主主義としての議会制民主主義における権力、カネ、利害でしか動くことができない<政党>になってしまうことが確かである限り、キリスト教<政党>を結成するという方法で解決すべきではないと考えていたからである〕」。このバルトは、西方・善――東方・悪という図式を前提として思惟し語るアメリカの神学者のラインホルド・ニーバーがその典型であるが、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会〔近代社会〕や自由国家〔近代国家〕にもほかの形で出没した」(『バルト自伝』)し、また例えばアメリカがどのような大義名分を掲げようとも事実としてアメリカは、日本の広島と長崎の大多数の被支配としての一般民衆の生活の場に原爆を投下したし、南太平洋のビキニ環礁で行った水素爆弾実験では日本の漁船の第五福竜丸の乗組員に放射性物質の「死の灰」を浴びせたし、ベトナム戦争では大多数の被支配としての一般大衆の生活の場に枯葉剤を使用したし、イラク戦争では大多数の被支配としての一般大衆の生活の場に劣化ウラン弾を撃ち込んだのであるから(フランスも太平洋上のムルロア環礁で核実験を行いポリネシア住民に放射性物質の「死の灰」を浴びせたのであるから、もっと言えばミシェル・フーコが「西欧思想の危機と帝国主義の終焉は同じものです」と述べているように、西欧は帝国主義政策をとっていたのであるから)、現在に引き寄せて言えば、アメリカを中心とした「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して〔ロシアや中国を中心とした〕東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」と述べている。言い換えれば、それが政治家であれ、学者であれ、知識人であれ、著述家であれ、そのような国家主義的な国家を前提とする彼らは、国家の問題、革命の過渡的な問題――革命の究極的な問題を明確に提起することはできないし、それ故に「西の獅子」――すなわち、他者に対して他律的な二者択一の倫理(善悪の判断)、賛成か反対かを強いる宗教化され倫理化された西方・善――東方・悪という図式を前提とする欧米<中心主義>、欧米諸国家(具体的には、政府・政権)、そのイデオロギーに全力をあげて抵抗できないし、決して東の獅子――すなわち、他者に対して他律的な二者択一の倫理(善悪の判断)、賛成か反対かを強いる宗教化され倫理化された<反>西方を前提とするロシア<中心主義>を掲げるロシア(具体的には、政府・政権)、そのイデオロギーあるいは中国<中心主義>掲げる中国(具体的には、政府・政権)、そのイデオロギーにも抵抗できないし、「また事実、抵抗しない」、と述べている(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』、ミシェル・フーコー『思考集成X』「啓蒙とは何か」)。ラインホルド・ニーバーについては、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」の「<8>.ラインホルド・ニーバー」を参照されたし

 米ソを中心とした東西冷戦構造という状況認識において、バルトは、『キリスト者共同体と市民共同体』の講演において、次のように述べた――「国家は、『教会の外にあるが、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている起源的な第一の形態の神の言葉である〕イエスキリストの支配圏の外にあるのではない』、イエスキリストは、『両者〔教会と国家〕を支配する主であり給うから、両者はその起源をも、中心をも共有する』、それ故に『両者はその起源、中心を、イエス・キリストに置くべきである』、それ故にまた『自然法による国家の基礎づけをも、この世界の『自律性』の教説をも排除すべきである』、それ故にまた『教会の政治的無関心にも、また〔あの「神への愛」<と>「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」という連関と循環における〕この世との名誉ある連帯以外でのキリスト者の政治的行動にも、さらにまた、キリスト者の主である方の法廷〔具体的には、「先ず第一義的に優位に立つ原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準としてのイエス・キリストと共に、教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準である聖書〕以外のいかなる場所における彼らの政治上の決断にも反対すべきである』、〔時代と現実に強いられて現存する〕「キリスト者は〔不可避的に関わらざるを得ない〕政治面では、『……キリスト教信仰に関しては匿名で登場すべきであって、キリスト教<政党>といったものを結成して登場すべきではない』」。何故ならば、第二の形態の神の言葉である「聖書および〔その聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした第三の形態の神の言葉である〕教会の宣教を通して同時的となる時と所、『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところにおいては、われわれは神の支配のもとに入ることを承認し確認する。したがって、われわれは、世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会として承認し確認する。すなわち、自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定〔裁き〕、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけであることを承認し確認する」(『教会教義学 神の言葉』)からである。

 1946517からはじまった夏学期において、バルトは、「教義学の本質と目的を話し始めるために『教義学要綱』について講義した」。バルトの「教会教義学をよく知っている人は、この講義の中に『ほとんどまったく新しい素材を見出す』ことはできなかった」。このことは、至極当然なことで、『ローマ書』、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『福音と律法』、『教会教義学』「神の言葉」・「神論」までレンガを積み上げるようにして積み上げられた『教義学要綱』であるからである。したがって、ブッシュのようにただ単に「『ほとんどまったく新しい素材を見出す』ことはできなかった」ということを知識的に述べたり・知ったりすることが重要なことではないのであって、その著作でバルトが例えば「聖霊は、人間精神と同一ではない」、「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、聖霊によって更新された人間の理性性も聖霊と同一ではないという〔すなわち、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語るという陥穽に陥ってはならないという〕バルトの「『<非>自然』な神学」の<段階>における思惟と語りを認識し、そのことを自分のものとして自覚的に引き寄せることが重要なことなのである。バルトは、「この講義において生涯……はじめて、一語一語しっかりと吟味した原稿を持たずに講義をした」。バルトは、「私は、ただストレートに学問的な教師であろうとすることは不可能であったし〔すなわち、私は、神学における<思想家>として、ただ単に学業的な知識を教えるだけである教師であろうとすることは不可能であったし〕、私は、決してそういう教師ではなかったし、またそれ故にそういう地位にはまったく適していませんでした」と述べている。また、バルトの「この講義の中心のテーゼの一つは、……『ただひとりの主がいますこの主は世界の主なるイエスキリストであるであるという点にある。さらにまた、Ⅰコリント3章、エフェソ211-22からして、バルトは、「キリスト教信仰が、人間を分裂させ、違った人たちを差別しようとするなら、それは恐ろしいことであろう。〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした〕キリスト教信仰は、まさに人間を一つにし、結び合わせることのできるもっとも強力な原動力である」と述べている。

 

 1946年から47年にかけてバルトは、「ドイツ人たちが、諸教会が、シュトゥットガルト罪責告白にも拘わらず、『教会の根本的再建』の労苦を担わずに、罪責を認めようとしない態度と結びついた十六世紀の博物館か中世の博物館への復古主義に身をゆだねはじめていたことに対して、残念に思った」。このバルトは、『バルト自伝』で、第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した。公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心を見出した。私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」と述べている。アジア的・日本的特殊性をもった日本の教会の戦後過程も類似してはいないであろうか。

 

 1947、バルトは、「『聖書の権威と意義』について講演」し、『教会教義学 神の言葉』に引き寄せて言えば、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の第二の存在の仕方における神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(「唯一無比の」「最初の起源的な支配的な<しるし>」)であるイエスキリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)における「その最初の直接的な第一の啓示ないし和解の概念の実在」(「預言者および使徒たちのイエス・キリストについての言葉、証言、宣教、説教」)としての第二の形態の神の言葉(その「最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」)である聖書こそが、第三の形態の神の言葉である「教会の宣教の原理〔・規準・法廷・審判者・支配者・標準〕であり」、「教会にとってもこの世にとっても基準〔・原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準〕であることからして、「エキュメニカルな一致はこのように規定された聖書の権威が有効性をもっているか否かによって真のものであるか幻想であるかが決まるというエキュメニカル運動に対する自分の立場について述べた。このことを前提として、バルトは、「『教会――活ける主イエス・キリストの活ける会衆』において、『会衆の集いの出来事』として考える教会理解から、『……〔第三の形態の神の言葉である全く人間的な〕教会の上なる権威の概念の全体を……解体し、……すべてを会衆〔教会の「すべての成員」〕を基礎として再構築』した」。したがって、バルトは、次のように述べている――「あらゆるキリスト者の生が、意識するにせよ、しないにせよ、やはりひとつの証しである限り、教会とその信仰を基礎づけている神の言葉から、提起される真理問題はあらゆるキリスト者に向けられている。この証しにおいてこの真理問題に対する責任を負う限り、いかなるキリスト者も彼自身がまた、〔第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学を担う〕神学者としても召されている」(『福音主義神学入門』)、「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任を負っている」(『啓示・教会・神学』)、それが大学の場における者であれ・大学以外の者であれ「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない。〔すなわち、〕教義学者とはただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけのことではなく、〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とするところの、それぞれの時代、それぞれの世紀、その時代と現実の強いられて現存している第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての<教会>教義学に携わる者として、例えば「『自然』神学」の問題を明確に提起するという、また<信>と<不信>を架橋する問題を明確に提起するという〕広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たちのことである」(『教会教義学 神の言葉』)。第三の神の言葉である全く人間的な「教会の権威」については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「6.「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)について」の「ア、イ、ウ」を参照されたしこのことは、『啓示・教会・神学』に即して言えば、「教会は、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているイエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)に基づいて〕人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き神が人間に語り給うことを聞くというこの一事によって基礎づけられ支えられているのである。(中略)このことが起こるところ〔すなわち、このことが、神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて起こるところ〕、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、しかし「そうでない時には、どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」ということである。バルトは、「夏学期に、『改革派正統主義』を弁護するためではなく、『ハイデルベルク教理問答書』の講義を行った」。その「講義内容は、第一に、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている純粋な教えとしての〕キリストの福音は、人間の所有となった死せる宝ではない〔換言すれば、キリストの福音は、類的機能を持つ自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された人間自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」、「存在者レベルでの神の啓示」でしかない「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語られた死せる宝ではない〕」。「キリストの福音は、あらゆる神学が、人間から離れ〔「人間学の後追い知識」から離れ〕、〔イエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>」に基づいて、そしてその中の客観的な「存在的なラチオ性」――すなわち、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)に連帯し連続し、その秩序性における第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求める「神への愛」(すなわち、「教えの純粋さを問う」<教会>教義学の問題、<福音主義的>教義学の問題)<と>そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(すなわち、区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関と循環において、〕キリストを指し示す奉仕を行うことのみを願っている。そしてそれが行われるところでのみ、教会は生きる」、第二に、第三の形態の神の言葉である教会のすべての成員の「キリスト教的思惟は、〔第二の形態の神の言葉である〕聖書に基づいているのと同様に、〔その聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした第三の形態の神の言葉である教会の〕『父祖たち』にも……結びついている」、第三に、その「改革派の父祖たちの『普遍プロテスタント的認識は、今日のドイツの神学と教会に起こっている最も憂慮すべき……教派主義〔党派主義、党派的多元主義〕』に対抗する手段となりうる」という点にあった。また、バルトは、「キリスト教の啓示の特殊性は、それが生の危急にかかわる、肯定的な、絶対的な、すべての人間にかかわる出来事ということについても述べている」。バルトは、『カール・バルト著作集3 神の恵みの選び』で、「自己自身である神」としての「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な第二の存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」)――この「イエスキリストにおける啓示の出来事は生来人間は神の恵みに敵対し神の恵みによって生きようとしないが故にこのことこそ第一に恵みが解放しなくてはならない人間の危急であったことをわれわれ人間に、〔「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、神のその都度の自由な恵みの神的決断による、客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」(客観的な「存在的な<必然性>」)とその「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」(主観的な「認識的な<必然性>」)に基づいて〕自己認識自己理解自己規定させる」と述べている。

 

 1948バルトが直面した問題は二つあり第一にはブルトマンの非神話化の問題であり、第二には東西対立における教会の宣教の問題あった

 ブッシュは、「バルトがブルトマンに疑念を抱いた点は、彼の『新約聖書本文の解釈の規準』として用いた『実存主義的図式』に対してであった」、それ故に「バルトは、ブルトマンに対して教会政治上の処分を行うことに対しては反対した」と記述している。バルトの反対の理由は、次の点にある――「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆、神の自由を認識していないという事態にある」「ヘーゲルの強力な痕跡に遭遇する」ことができるシュライエルマッハーや「シュライエルマッハー以外の他の人々の所」における(『ヘーゲル』)近代主義的(自由主義的)プロテスタント主義的神学の問題その典型的な一つである前期ハイデッガーの哲学原理に依拠した「人間学の後追い知識」としてのブルトマン神学(ブルトマン学派)の問題包括的に言えば「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る神学の問題換言すれば前期と後期のその総体において思惟し語ったハイデッカー自身から、「『今日まさにこのマールブルク〔ブルトマン(ブルトマン学派)〕では、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりはむしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』〔このことを、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る神学者、知識人、著述家には理解できないことが、それ故にこのことに自覚的になることができないことが、すなわちこのことから対象的になって距離を取るとことができないことが問題である〕、〔何故ならば、〕『いわゆる〔類的機能を持った自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された人間自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」、「存在者レベルでの神の啓示」、〕存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ〔聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての〕神を見失うことではなかろうか〔すなわち、神を見失うことになるからである。このことを、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る神学者、知識人、著述家には理解できないことが、それ故にこのことに自覚的になることができないことが、すなわちこのことから対象的になって距離を取るとことができないことが問題である〕』」(木田元『ハイデッガーの思想』)と客観的な正当性と妥当性とをもって根本的包括的に原理的に「揶揄」され批判されたブルトマン神学(ブルトマン学派)の問題は、第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として根本的包括的に原理的に止揚し克服するという仕方でしか死滅させることはできないからである。すなわち、その問題は、ただ単なる皮相的外皮的な「教会政治的処分」によっては根本的包括的に原理的に止揚し克服することはできないからである、死滅させることはできないからである。バルトは、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)に連帯し連続し、その秩序性における「その最初の直接的な第一の啓示ないし和解の概念の実在」としての第二の形態の神の言葉である聖書を、その聖書の主要な言明・主要な線・「『<非>自然』な神学」的言明を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする「よりよい神学を持って、歴史的前提や歴史的結果からのみ解明しうるという『一つの方法の強制』を拒否」しようとした。バルトは、『教会教義学 神の言葉』で、次のように述べている――「歴史主義は、人間精神が生み出したものを問題とする限り、〔聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の自己〕啓示を問おうとしないで人間精神の自己理解を第一義として聖書の中でも〔類的機能を持つその著者の自由な自己意識・理性・思惟によって対象化され客体化されたその著者の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」としての〕神話を問うことをする。しかし、〔起源的な第一の形態の神の言葉である〕啓示の証言としての〔第二の形態の神の言葉である〕聖書の理解<と>〔ただ単に類的機能を持つその著者の自由な自己意識・理性・思惟が対象化し客体化したその著者の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」としての〕神話の証言としての聖書の理解は、相互排除の関係にある。したがって、聖書記事を歴史物語とみなし、聖書記事の一般的な歴史性(Geschitlichkeit)を問題化することは、証言としての聖書の実体を攻撃しないが、しかし、聖書記事を〔史実史的にただ単なる〕神話として受けとることは、証言としての聖書の実体を攻撃する。なぜなら、〔「われわれだけでわれわれの時間を持っていた時に生起したわれわれのための神の時間である」聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の自己〕啓示は、〔人間の類の時間性である人類史、世界史、〕歴史の枠にはめ込まれてしまうような歴史的出来事ではないからである。「啓示は歴史の賓辞ではない、歴史が啓示の賓辞である」。したがって、聖書の歴史は、一般的な歴史性を含んではいるが史実史ではない歴史物語、古譚として受け取られなければならない」。だからと言って、バルトは、史実を否定しているわけではない。そのことは、バルトの次のような思惟と語りによって明らかである――「(中略)確かに受肉は中心的にして重要なものではあるが……新約聖書の本来的内容であるというふうには言ってはならないのである。(中略)それはおよそすべての他の宗教世界の神話や思弁の中にも見出されるものである。(中略)人は、聖書が語っている受肉を、ただ聖書からのみ、換言すればイエス・キリストの名からのみ……理解することができる。……神人性それ自体もまた新約聖書の内容ではない何故ならば、農耕を主たる経済社会構成の基盤としていた人類史におけるアジア的段階の日本において、<非>農耕民は天皇を含めて神人と呼ばれていたからである〕。新約聖書の内容とはただイエス・キリストのだけであり、そのイエス・キリストの名がたしかにまた、そしてとりわけ、彼の神人性の真理をその名に含んでいるのである。ただまったくこの名だけが、啓示の客観的現実を言いあらわしている」(『教会教義学 神の言葉』)。ブルトマンについては、Jimdofreeのホームページ>「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」の「<5>。ルドルフ・ブルトマン」を参照されたし

 1948、バルトは、邦訳『教会教義学 創造論Ⅱ/3』を書きあげた。ブッシュは、この『教会教義学 創造論』について、次のように述べている――第一に、「キリスト論的基礎づけの上に立って、人間論はキリスト論ではないが、〔「真に罪なき、従順なお方」〕『人間イエスは、啓示する神の言葉であるから……神によって造られた人間存在についてのわれわれの認識の源泉である』〔換言すれば、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、神のその都度の自由な恵みの神的決断による、客観的なその「その死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」(客観的な「存在的な<必然性>」)<と>その「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」(主観的な「認識的な<必然性>」)に基づいて贈り与えられる信仰の認識としての神認識、啓示認識(啓示信仰)、人間的主観に実現された神の恵みの出来事に依拠して言えば、それが人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、生来的な自然的なわれわれ人間は、「神に敵対し神に服従しない……人間」である、「肉であって、それゆえ神ではなく、そのままでは神に接するための器官や能力を持ってはいない」人間である(『教会教義学 神の言葉』)、生来的な自然的な「『自分の理性や力〔感性力、悟性力、意志力、想像力、知力、自然を内面の原理とした禅的修行等々〕によっては』――全く信じることができない」人間である(『福音主義神学入門』)、「神の恵みに敵対し、神の恵みによって生きようとしない」人間である(『カール・バルト著作集3 神の恵みの選び』)、キリストにあっての神としての神だけでなくわれわれ人間も、われわれ人間の自主性・自己主張・自己義認も欲求する人間である、換言すれば無神性・不信仰・真実の罪のただ中にある人間である(『福音と律法』)〕」。第二に、「諸科学は、……個々の『人間的なものの現象』を認識することはできるしそれ自体の真理性もあるのであるが、『真の人間』そのものを認識することはできない」。この時、「真に罪なき従順なお方である真の人間>」は、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」)――ただこのイエスキリストだけであるにも拘わらずブッシュは、さらに続けてその「真の人間は、神の恵みにあずかっている罪人のことである」と述べているまた、「神の恵みにあずかっている罪人」についての自己認識・自己理解・自己規定は、前にも書いたように、あくまでもイエス・キリストにおける神の自己啓示を通して、詳しく言えば客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」(客観的な「存在的な<必然性>」)<と>その「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「復活され高挙されたイエス・キリストから降下し注がれる霊である」・「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」(主観的な「認識的な<必然性>」)に基づいて終末論的限界の下で贈り与えられる信仰の認識としての神認識、啓示認識(啓示信仰)、人間的主観に実現された神の恵みの出来事に依拠してのみ初めて可能である

 1948、哲学者カール・ヤスパースがバーゼル大学の同僚として加わる。1958年のバルトのヤスパース宛ての手紙にはこうある――ヤスパースの教室は2階の最も大きな「第二講義室」であった。それに対して、バルトの教室はその真下の「少し小さい……第一講義室」であった。『学部の争い』(カント)は以前からあったが、どちらが優位かなどという争いは傍観者たちの争いであって」、バルトとヤスパースは、両者とも、学問的領域の差異性および「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を認識し自覚していた。

 1948、バルトは、「アムステルダムで開催された第一回世界教会協議会における四冊の大会準備パンフレットに対する彼の態度表明を含めた主題講演の招請を契機に、状況が強いる政治的な東西問題への取り組みだけでなく、Ⅰコリント3章、エフェソ211-22からして、本来的には「『自然』神学」を目指すそれであるのか、それとも「『<非>自然』な神学」を目指すそれであるのかについて「本質的に考えるべき課題であったところの合同促進運動(エキュメニカル運動)にかかわらざるを得なくなった」。「招請は、1月にあったのだが、エキュメニカル運動に対して懐疑的でさまざまな面で批判的発言をしてきたバルトは、最初……拒絶の意向を示した」。しかし、その「心は変わって、バルトは、『世界の無秩序と神の救済計画』というテーマで講演を行った」。第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」の立場に立脚するバルトの「講演の主調音は、先ず神の救済計画について語った後に、初めて世界の混乱について語るべきだ」という点にあった。何故ならば、「福音書の中ではすべてのことが受難の歴史に向かって進んでおり、しかもまた同様にすべてのことは受難の歴史を超えて甦り・復活の歴史に向かって進んでいる。すなわち、「旧約〔「神の裁きの啓示」・律法、死〕から新約〔「神の恵みの啓示」・福音、生〕へのキリストの十字架でもって終わる古い世〔、時間〕は、復活へと向かっている」。この「キリストの復活の四〇日(使徒行伝一・三)は〔すなわち、「キリスト復活四〇日の福音」、「まことの過去」と「まことの未来」を包括した「まことの現在」は〕、新しい世〔、時間〕のはじまりである」からである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「キリスト教界はこの世の危急を人間的な仕方で描き出したり、人間的に批判したりするだけであるならば、その危急を人間的に克服するための人間的な計画を立て、処置するだけに終わってしまうことになる」。したがってまた、「神自身のみが完遂することができ、神がまったく御一人で完遂しようとしておられることを、われわれが、キリスト者として、教会人として神に代わって実行しなければならない」とあった「大会準備のパンフレット」の内容的にまさに「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語られた言葉に対して、当然にも、バルトは批判した。そして、バルトは、次のように述べた――「われわれはこの悪い世界を善い世界に転換させる者とはなり得ない」、何故ならば神は世界に対する主権をわれわれに譲り渡さなかったからであるそれ故にわれわれは、この世界の政治的、社会的無秩序のただ中にあって、〔徹頭徹尾神の側の真実としてのみある、主格的属格として理解されたローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」(「イエス・キリスト信ずる信仰」)による「律法の成就」・「律法の完成」そのもの、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、「成就と執行、永遠的実在としてある」成就され完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(この包括的な救済概念は平和の概念と同一である――「平和に関するバルトの書簡」)そのものである「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」)――このイエスキリストの証人、〕神の証人となることが、……われわれに求められていることのすべてである」と述べた。第一に、「キリスト中心主義の観点こそが、キリストの神性の観点こそが、あらゆる近代主義的(自由主義的)プロテスタント主義的神学に対抗し得るところの、包括的に言えばあらゆる『自然神学』に対抗し得る」ところの、神学における思想的武器であるから、この観点こそが、教会教義学の「創造に関する第三分冊を書くことを可能にしたものである」。第二に、邦訳『和解論Ⅰ/4』において、1950年の冬学期バルトは、「皆、さまざまなやり方で、さまざまな強調点をおいて、神学と、またエキュメニカルな相互理解のあらゆる試みが、信仰の創始者また完成者、『信仰の導き手であり、またその完成者』(ヘブル書122)である中心イエス・キリストに、まったく新しい目を……向けようとしていると思われた」と書いたがしかし、「合同促進運動(エキュメニカル運動)の本質的問題」は、「『自然』神学」を目指すベクトルをもったそれであるのか、あるいは「『<非>自然』な神学」を目指すベクトルを持ったそれであるのかという点にあるにも拘らず、実際的には、「合同促進運動エキュメニカル運動さまざまな視点に立つ永遠の外皮的皮相的な調停だけに時間を費やしていてそのような調停に長い時間付き合うことにひどく疲労した」。

 1948年の夏学期「ドイツ行きをやめて、共産主義政権の支配下にあるハンガリーの改革派教会の招待で、ハンガリー旅行に出かけた」。このことで、バルトは、<不可避的に東西問題とかかわらざるを得なくなった

 「エミール・ブルンナーは公開書簡の形で、ラインホルド・ニーバーのように、バルトを容共主義者だと誤解して、かつてナチズムに対してやったように、『それと同じ仕方で共産主義に反対し、信仰告白を貫くように呼びかけない』のはなぜかと問いかけた」。それに対して、バルトは、第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての<教会>教義学に携わる神学者として、「精神的自覚のない、容易な原則主義〔西方は善で、東方は悪という固定した図式〕を拒絶すると答えた〔ちょうど、ミシェル・フーコーが、『啓蒙とは何か』で、哲学者として、「宗教化され倫理化されたイデオロギーは、その啓蒙において他者に対して他律的な二者択一の倫理〔善悪の判断〕、<賛成>か<反対>かを強いるが、それは<啓蒙の〝恐喝〞>である」から、そうした「単純で権威的で他律性を強いる二者択一の形式で提出されるようなすべてを、その存在、その思考、その実践において拒否し、新たな主体や自由や価値の構成をしようとした」ように〕」。何故ならば、バルトは、「今日西側において、ボルシェヴィズムは、かつてのナチの褐色シャツの脅威の下で、大きい危険があったような形で、ロシア・マルクス主義を神格化するという危険性はほとんどないという状況認識を持っていた」からである。バルトは、次のように述べている――「私は、共産主義に対するあらゆる不安には賛成できません。ある国民が、良心を失っておらず、〔これは、革命の過渡的問題に属することであるが、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没した」(『バルト自伝』)のであるから、擬制民主主義としての議会制民主義における自由主義国家(近代主義国家)においても言えることであるが、現実的な社会の中で具体的に生き生活しているところの、制度としてのプロレタリア概念よりももっと規模の大きい大多数の被支配としての一般大衆・一般国民に対して、彼らの生と生活に関わる事柄に関しては、国民投票にかけて賛否を問うことを必要とするということを憲法規定で定めて、第一義化され価値化された観念の共同性を本質とする国家<共同性>(具体的には、政府・政権)をどこまでも開いて行く、そういう〕民主主義的な社会生活がしっかりできているならば、共産主義に対していかなる不安をもつ必要はありません。ましてイエスキリストの福音を確信している〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である〕教会はまったくなんの不安もないはずです東と西というブロックの形成は、権力抗争、イデオロギー抗争に基づいており、教会がそのどちらかに加担しなければならないという理由はまったくなく現代のイエス・キリストの教会の歩む道は、もう一つの別の第三のそれ自身の道でなければならない〔すなわち、イエスキリストをのみ主頭とするイエスキリストの活けるヒトツノ聖ナル公同ノ教会共同性を目指して行く道それ故にその道に基づいて西方および東方のそれらすべてから対象的になって距離を取って行く道でなければならない〕」。したがって、バルトは、19548月、「フロマートカに対して、西側にある教会も、東側にある教会も……両側の体制派指導者の間にあって、この狭い道を求めつづけ、そして見つけなければならないのです」と述べた。エミール・ブルンナーとラインホルド・ニーバーについては、Jimdofreeのホームページ>「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」の「<7>.エミール・ブルンナー、<8>.ラインホルド・ニーバー」を参照されたし

 バルトは、「『教会教義学 Ⅲ/3』の虚無に関する節のモーツアルトに関する特別補注」に、次のように書いた――「モーツアルトに比べるなら、バッハもまた洗礼者ヨハネにすぎない。バッハとバルトを隔てたのは、バッハのあまりに意図的で、あまりに技巧的な『宣教しようという態度』であった。他方、モーツアルトは、そのようなわざとらしさから解放された、純粋な遊びの姿勢でバルトを引きつけた」。この「純粋な遊びの姿勢」ということでもって、バルトは、一般的啓示、一般的真理、「存在の類比」、混合神学(人間学的神学)、『自然』神学」の立場に立脚して「わがまま勝手に」恣意的独断的に思惟し語ってもよいということを述べているのではなくて、バルトは、あくまでも第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」の立場に立脚して思惟し語っていることからして、「純粋な遊びの姿勢」ということでもって、バルトは、イエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が……啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>を持っていることからして、その常に先行するキリストにあっての神としての神に対して「それの後に続いて」後続して行くことが許されている人間の<自由>(すなわち、聖書に対する他律的服従とそのことへの決断と態度という自律的服従との全体性における自由)と<余裕>ということを述べているのである。

 

 1949年夏、バルトは、「非神話化の問題の浪が大きくうねり始めた時、邦訳『創造論Ⅲ/1』の結論部分において、(中略)天使を『神の純粋な証人』だと説明した。また、『ヒューマニズム』において、福音においても、もちろん人間が中心的問題である。しかしながら、福音から、人間について、人間のために(人間に反しても!)そして人間に向かって語るべきことは、〔類的機能を持つ自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された人間自身の意味世界・物語世界としての〕さまざまなヒューマニズムが終わるところから始まる。われわれは、……すべてのヒューマニズムを〔聖書の中で証しされているキリストの〕福音によって理解することができ、さらにすすんで肯定し、承認することができる……。しかし、われわれは福音からすれば、最終的にはあらゆるヒューマニズムに反対しなければならない」と述べている。何故ならば、その人間の側からするヒューマニズムは、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした「神への愛」(「教えの純粋さを問う」<教会>教義学の問題、<福音主義的な>教義学の問題)<と>「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)ではないからである。言い換えれば、先行する「人間の側からするヒューマニズム」等は、「律法の成就」・「律法の完成」そのものであるイエス・キリストを「律法の目標」としないのであるから、「律法の目標」は、「人間的な自然法や抽象的理性や民族法という形に転倒されてしまう」、「神の要求」を、「人間的な自分自身の要求に、自分で満足させ得る要求に変えて、神的な『汝は斯くなすであろう』を変じて、人間的な余りに人間的な汝は斯くなすべしをつくり上げるこのような〔キリストにあっての神としての〕神に対する熱心さの無知は、神の要求を、人間によって恣意的に曲解された十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告に過ぎないものへと変える」、その時「ある者は盲目的に仕事へと没頭し、ある者は人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜する。また、ある者はその時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う、ある者は大規模な世界改良の偉大な計画に邁進する。ある者は大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義に邁進する」(『福音と律法』)。バルトは、教会の宣教的意志、教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての教義学的意志について、次のように述べている――第一に、「危険なことは、われわれがある哲学を学んで、それから神学の勉強を始め、そしてわれわれの頭にある哲学の法則〔原理〕に従わせようとすることだ。われわれは哲学を一つの道具として用いることはできる。しかし、もしヘーゲルやハイデッガーあるいはアリストテレスを絶対化するならば〔換言すれば、もしヘーゲルやハイデッガーあるいはアリストテレスを主、原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とするならば〕、聖書を聞き損なうことになる」(『バルトとの対話』)。第二に、「人は、〔「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語るという仕方で、〕全く別なもろもろの啓示概念〔一般的啓示概念〕、おそらくは普遍的な啓示概念を問うことができるが、その時人は、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示を対象とする第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての<教会>〕教義学の課題を、手をつけずに放置しておくことになる」。

 

 1950、バルトは、「マルティン・ブーバーの講演を聞いて、ユダヤ人との差異性と対話の難しさを知らされる」。すなわち、バルトにとっては、「メシアは既に到来した、律法は既に成就された、道徳は単に感謝の行為〔あの「神への愛」<と>「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」〕である」という点にあったが、ブーバーにおいては、「旧約聖書の半分、その怒りの雷雲の中に隠れていますヤハウェだけが、非常に印象深く語られる」ということを知らされた。

 1950バルトは東西対立問題に対して、「第三の道東側の道と西側の道とに対抗する道を歩んだ」。すなわち、東側の道からも・西側の道からも対象的になって距離を取るという仕方で対抗する道を歩んだが、こうしたバルトは「アメリカ諜報機関の取り締まりの対象となっていた」。バルトは、「ドイツの再軍備が、東西冷戦構造におけるスターリン主義、ロシア・マルクス主義と戦う先鋭化であると見た」し、「ドイツ的体制の非神話のための第一歩として、再軍備拒否・反対の立場に立った」し、宗教化され倫理化された「絶対主義としての平和主義をも拒否する立場に立った」。バルトは、『バルトとの対話』で、次のように述べている――「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない。しかし、このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、〔すなわち、現存する世界が経済の世界性と自国の利害を第一義的に最優先する一部国家支配上層の意思によって巨大で強力な国軍を動員できる民族国家の一国性を単位として動き、西方においても東方においても、両陣営の政治家や学者や知識人や著述家においても、軍事産業においても、その戦争の元凶である民族国家が前提されて様々に政策され、学問され、研究され、最新の強力な軍事科学が研究され軍事技術が開発されている限り〕戦争の可能性はあけておかなければならない」。観念の共同性を本質とする国家<共同性>を第一義性(価値性)とする国家主義的な「スターリン主義的、ロシア・マルクス主義的共産主義を望まない者は――われわれは誰一人それを望む者はないのだが――〔観念の共同性を本質とする国家<共同性>を第一義性(価値性)とする国家主義的なそれではなく、〔大多数の被支配としての一般大衆・一般国民のそれぞれがそれぞれの資質、感情、職業、生活、信条、意志、構想をもって具体的に生きている現実的な社会に第一義性・価値性を置く〕真面目な社会主義に味方しなければならない! 〔しかしながら、西方の国家においても東方の国家においてもどこどこの国家においても大多数の被支配としての一般大衆一般国民のそれぞれがそれぞれの資質感情職業生活信条意志構想をもって具体的に生きている現実的な社会に第一義性価値性を置く真面目な社会主義は現存してはいない〕」。バルトは、「平和と、神の国の希望について、よく考え抜かれた証言を伝えることによって、政治の責任を負う指導者たちと世論を援助することが、キリスト教会の任務であるだろう」と述べた。革命の過渡的緊急的相対的な問題(国家をどこまでも大多数の被支配としての一般大衆・一般国民に開いて行く問題、人間の観念的な法的政治的な部分的解放の問題)<と>――革命の究極的総体的永続的な問題(国家の無化を伴う、人間の現実的な社会的な全体的解放の問題)を明確に提起しないままでの無分別なやり方で福音の核心」<>下からの構造改革論、東方あるいは西方の国家の枠組みにおける法的言語や政策的言語とを同一視させて国家に加担することはすべきでことではないと述べた。ブッシュは、バルトが「イエス・キリストにおいて、神は人間に敵対するのではなく、人間の味方になり給うのです。共産主義者もまた人間です。神はまた、共産主義者の味方でもあり給うのです。(中略)〔東方の〕共産主義の味方であるということは、〔東方の〕共産主義に賛成するということではありません。私は、〔東方の〕共産主義に賛成ではありません〔換言すれば、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称<自由社会>や<自由国家>にもほかの形で出没した」(『バルト自伝』)ことからして、国家<共同性>に第一義性・価値性を置く<国家主義>における西方の自由社会(近代社会)や自由国家(近代国家)に対するのと同じように、国家<共同性>に第一義性・価値性を置く<国家主義>における東方の「共産主義にも賛成ではありません」〕、しかし、〔東方の〕共産主義の味方であるときにのみ、〔東方の〕共産主義に反対して言われるべきことについて語りうるのです」、ということを述べたと記述している。言い換えれば、そのことは、自らの立場において、人類史において世界普遍性を獲得したところの資本主義を主たる経済社会構成とし自由を原理とする西欧的<段階>を出自とする欧米を中心とした西欧思想・西欧概念に包括される「一つの思想形態……一つの世界ビジョン、一つの社会機構となったマルクシズム」(ミシェル・フーコーは、『フーコーと禅』)、ロシア・マルクス<主義>としての共産主義を包括し止揚するという仕方においてだけ、はじめてそのロシア・マルクス<主義>としての共産主義を<否定的に>媒介することができる、そのロシア・マルクス<主義>として共産主義に反対して言われるべきことについて語りうる、ということであろう。フーコーは、『フーコーと禅』で、「西欧の危機」について、次のように述べている――「西欧思想の危機〔欧米の危機〕と帝国主義の終焉は同じものです、たとえばマルクシズムは、(中略)一つの思想形態……一つの世界ビジョン、一つの社会機構となりました。(中略)マルクシズムは現在、明白な危機のうちにあります。それは西欧思想の危機であり、革命という西欧概念の危機、人間、社会という西欧概念の危機なのです。それはまた〔近代以降、世界普遍性を獲得した西欧という地域の危機として〕全世界にかかわる危機……です」。「平和に関するバルトの書簡」(『バルト神学の射程』の著者の私訳)によれば、「バルトの平和の概念、徹頭徹尾神の側の真実としてのみある主格的属格として理解されたローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」(「イエス・キリスト信ずる信仰」)による「律法の成就」・「律法の完成」そのもの(『福音と律法』)、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの(『ローマ書新解』)、「成就と執行、永遠的実在としてある」成就され完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済と同じである――この平和の概念と同一である包括的な救済概念は、この世の神との和解、人間相互間の和解を直接その内に包含している和解である」、「神ご自身によってイエス・キリストの歴史において、その生涯と死において、すでに完成され、死人からの復活においてすでに啓示されているような和解である」。「したがって、われわれ人間によって初めて完成されねばならないような和解ではなく、神ご自身によって確立された和解である」、「イエス・キリストにおいては神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的なのであり、敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にあるのである」、「イエスキリストにおいて平和は神ご自身が世界史のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性である」、この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待っている、「したがってわれわれがこの事実に向かって眼と耳を閉ざして生きているということが悲惨なのである」、「そうした中で、われわれは、平和は戦争より善いものであるということをくりかえし断言せねばならないが、それらのことは究極的に何の助けをももたらさないことは明白である〔何故ならば、政治家においても、学者においても、知識人においても、著述家においても、民族国家が<前提>された世界は、経済の世界性と戦争の元凶である民族国家の一国性を単位として動いているからである〕」、「したがって世界が必要としている革命的認識、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な倫理的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」という点にある。

 

1951、バルトは、「通常の授業に専念するために」、「バーゼル大学の学長の職を再び辞退した」、また「パウロのヨーロッパ到着一九〇〇年記念祝典のためのアテネへの招待も断った」。そして、「『教会教義学』の仕事の続行に集中しようとした」、それ故に「毎回の教義学の講義のほとんど一五分前まで、テキストの検討と訂正に追われた」。しかし、バルトも、ただの人間であり、「睡眠やリクリエーションも必要である」から、「彼は、特に、必ずしも私がいなくてもよいと思えるような時には、その時間を自分のために利用した」。バルトの「『教会教義学』の展開と成立は、キルシュバウムによれば、手探りと再構成による数え切れない、そして倦むことのない動きを伴った絶えざる集中の結果による」ということである。バルトは、「喜んで論争に加わったが、肯定的発言、積極的な発言、建設的な発言に重点を置くようになった」、また「『教会教義学』の全体は、静止的な諸概念においてではなく、ただ力動的な諸概念においてのみ描き出し得るような一つの事柄の運動の叙述だと理解した」、ちょうどイエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)を持っており、起源的な第一の形態の神の言葉自身がその言葉自身の出来事の自己運動を持っており、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の第二の存在の仕方における神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)における第二の形態の神の言葉である聖書、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした第三の形態の神の言葉である教会の宣教が現存しているように。バルトは、「読者に、単に読まれるだけでなく、……理解されることを期待した」、「われわれは、互いに賛成し合い、拍手喝采し合うために存在しているわけではない。バルト主義者〔あるいは反バルト主義者、中立主義者、折衷主義者、無関心主義者〕というものが存在するとしても、〔「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に基づいて聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする〕私自身は〔Ⅰコリント3章、エフェソ211-22からして、〕それには属さない」と述べた。

 1951年の夏学期からバルトは、「『教会教義学の主要課題である和解論の講義を開始したそこで、「彼はインマヌエルの書き換えという形で全体への序論とそして同時に全体の概観を述べた。「バルトは、最初、契約論とした方がよいのではないかと考えたが、そのままにした。この『和解論』は、カルヴァンの祭司的、王的、預言者的なキリストの三職理論に基づいて、祭司職――キリスト論のコース、王職――救済論のコース、預言者職――聖霊論のコースとして考え抜かれ、さらに祭司的職と王的職はキリストの卑下と高挙という二つの状態およびキリストの二つの本性(真の神と真の人間)と結びつけられ、預言者的職は二つの状態および二つの本性の統一が強調されている」、「『和解論』の内容は、イエス・キリストを認識することである」、というようにブッシュは記述している。「自己自身である神」としての自己還帰する対自的であって対他的な完全に自由な聖性・秘義性・隠蔽性において存在している(それ故に、われわれは神の不把握性の下にある)「父なる名の<内>三位一体的特殊性」・「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」(それ故に、三神、三の対象、三つの神的我ではない)の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、すなわち父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>)における第二の存在の仕方、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」)――この「イエス・キリストは、(1)真の神、つまり自分自身を卑下する神、したがって和解を与える神である〔この記述の仕方は曖昧模糊としている。したがって、「その第二の存在の仕方における啓示と和解がキリストの神性の根拠ではなくて、その内在的本質であるキリストの神性がその第二の存在の仕方における啓示と和解を生じさせるのである」(『教会教義学 神の言葉』)というように、その差異性を明確にして記述すべきである〕、(2)真の人間、つまり神によって高挙され、和解を与えられた人間であり〔この記述も、(1)の記述と同じように曖昧模糊としている。したがって、「その第二の存在の仕方における啓示と和解がキリストの神性の根拠ではなくて、その内在的本質であるキリストの神性がその第二の存在の仕方における啓示と和解を生じさせるのである」(『教会教義学 神の言葉』)というように、その差異性を明確にして記述すべきである〕、両者の統一として、(3)〔徹頭徹尾神の側の真実としてのみある、それ故に「成就と執行、永遠的実在としてある」〕われわれの和解の保証人〔真実の保証人そのもの〕であり、証人〔真実の証人そのもの〕である」、ということを認識(信仰)しなければならない。「これらイエス・キリストの三重の認識の内には人間の罪〔すなわち、キリストにあっての神としての神だけでなくわれわれ人間も、われわれ人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求もというわれわれ人間の無神性・不信仰・真実の罪――『福音と律法』〕、すなわち、〔神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて終末論的限界の下で贈り与えられる信仰の認識としての神認識、啓示認識(啓示信仰)、人間的主観に実現された神の恵みの出来事に依拠した〕1)その高慢、(2)その怠慢、(3)その虚偽の認識と、さらに人間の和解が成就される出来事の認識、すなわち(1)人間の義認、(2)人間の聖化、(3)人間の召命と……聖霊の業の認識、すなわち(1)教会の集い、(2)教会の建設、(3)教会の派遣におけるその業の認識およびイエス・キリストにおけるキリスト者の存在、すなわち(1)信仰における、(2)愛における、(3)希望における彼の存在の認識が含まれている」。「客観的に起こった和解の主体的実現はまず第一に教団においてイエス・キリストの聖霊の業として遂行される」ことからして、キリスト復活から復活されたキリスト再臨(終末、「完成」)までの聖霊の時代、中間時において「信仰、愛、希望に生きることがゆるされているイエス・キリストにおけるキリスト者の存在」、すなわち第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である教会のすべての成員ということが問題である。

 さて、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての「神は、(ドイツ語はここで、ほかの国語が持っていない表現能力を持っているのであるが)ただ単に主であり給うだけでなくそのような方として栄光に満ちてい給い、他方すべての栄光は主なる神の栄光であるという認識〔すなわち、「栄光」と「主」との全体性においてイエス・キリストは栄光の主であるという認識〕を遂行しなければならない」。「Ⅰコリント二・八、ヤコブ二・一によれば、イエス・キリストは、<栄光>〔すなわち、聖、全能、永遠、力、善、あわれみ、義、遍在、知恵等〕の<主>であり給う」――「そのような方として、認識され承認されている」。したがって、「聖書の証言からすれば、<主>と<栄光>とを切り離して認識する切り離しは存在しない」。また、「身をかがめること身を屈するとか身分を落として卑下するという形で遂行される身を向けることより高い者がより低い者に向かって身を向けることは、ギリシャ語の恵みの意味の中に、またラテン語の恵みの意味の中に、……ドイツ語の恵みの意味の中に含まれている」。この「身を向けることの中に、特に(その中でこの言葉が現れている)旧約聖書的な脈絡がそのことを明らかにしているように、神がよき業として人間に対してなし給うすべてのこと、神のまこと、神の忠実さ、神の義、神のあわれみ、神の契約(ダニエル九・四)、あるいはあの使徒の挨拶の言葉によれば、神の平和が含まれている」。「それらすべてはまず第一に基本的に神の恵みである」。「恵み〔「神的な賜物……の総内容」〕――すなわち、「〔神の起源的な第一の存在の仕方である〕啓示者である<父>に関わる創造、〔神の第二の存在の仕方である〕啓示そのものである<子>に関わる和解、〔第三の存在の仕方である神的愛に基づく<父>と<子>の交わりとしての〕啓示されてあることである<聖霊>に関わる救済」、換言すれば父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>は、「確かにきわめて『超自然的な賜物』でもあるが、それを与える方自身が、すなわち神ご自身が〔詳しく言えば、「自己自身である神」としての「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする神ご自身が〕、〔「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質)において、先行して〕自分自身を賜物とすることによって、自分自身、〔神とは全く異なる〕他者との交わりの中に赴き、自分自身を他者に相対して愛する者として示し給う限り、ご自身と……〔神とは全く異なる〕被造物の間に直接交わりを造り出し、保ってゆくことであるから、そのような賜物なのである」。「神が恵みを与え給うことの原型は神の言葉の受肉〔すなわち、神の内在的本質である神性の受肉ではなく、その神の第二の存在の仕方における言葉の受肉〕、神と人間がイエスキリストにあって一つであることである」。「イエス・キリストにおける神の愛は、神自身の人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一である」(『ローマ書』)。この「インマヌエルの出来事」は、われわれ人間のために・われわれ人間に代わって、われわれ人間の「神の恩寵への嫌悪と回避に対する神の答えである刑罰(死)を、唯一回なし遂げ給うた」(「律法の成就」・「律法の完成」)ところにある。すなわち、それは、「われわれ人間からは何ら応答を期待せず・また実際に応答を見出さずとも、神であることを廃めずに、何ら価値や力や資格もない罪によって暗くなり・破れた姿のわれわれ人間的存在を己の神的存在につけ加え、身内に取り入れ、それをご自分と分離出来ぬように、しかも〔そのことは徹頭徹尾神の側の真実としてのみある事柄として、〕混淆されぬように〔すなわち、人間の側から協働・共働、神人協力されぬように〕、統一し給うた」ということを内容としている。徹頭徹尾神の側の真実としてのみある恵みの秘義と本質次の点にある――「二つのものが、(徹頭徹尾第一のものの意志と力を通して)直接一つのものとなり、神と人間の間のあの直接的な『平和』、パウロが『恵み』という言葉と関連させて、……その内容的な定義として、……しばしば名指すのを常としている『平和』が樹立される」という点にある。「ご自身の中での神〔「自己自身である神」〕として恵み深い神とわれわれのための神として恵み深くあり給う神との間には中間的な領域としての恵みについてのグノーシス主義的に受け取られた考え方が介在することは許されない」。したがって、「旧約聖書と新約聖書の中で、……力を込めて神を指し示しつつ、『わたしの』、『あなたの』、あるいは『彼の』恵みについて語られているのである」。したがってまた、「聖書的な人間は、ただ単に『あなたの恵みにしたがって、わたしをお救いください』(詩篇一〇九・二六)、『あなたの恵みにしたがって、わたしを覚えてください』(詩篇一〇六・四)、『あなたの恵みにしたがって、わたしを生かしてください』(詩篇一一九・八八)、『あなたの恵みを聞かせてください』(詩篇一四三・八)等々について語られているだけでなく、ほとんどのところで直接、単純に、『わたしに対し恵み深く<あってください>』と言われている」。「それに対して、わたしの知る限り、わたしに恵みを<与えてください>という言い方はどこにも出てこない」。このような訳で、「使徒たちがその教会に対して臨んでいるすべてのことは、よく知られている挨拶の言葉でもって総括することができる」――すなわち、「恵みがあなたがたにあるように」。したがって、「神の言葉は、使徒行伝一四・三、二〇・三二によれば、単純に『恵みの言葉』と呼ぶことができる」。「パウロにおいては、恵み、彼自身の回心、彼の使徒職とその行使、それと共に福音の宣教は、一つのまとまった全体を形作っている」――「神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜った神の恵みは無駄にならず、むしろ、わたしは彼らの中の誰よりも多く働いてきた。しかしそれは、私自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである(Ⅰコリント一五・一〇)。なお、ローマ一・五を参照せよ」、「まさに恵みこそが包括的に神が現にあるところの方として、〔すなわち、「われわれのための神」としてのその存在の仕方において〕われわれに身を向け給う際の向け方を特徴的に言い表している」(『教会教義学 神の言葉』、『教会教義学 神論』)。

 ブッシュは、「罪論は和解論に直接的に組み入れられ、そのあとに置かれるべきだ」というようにバルトは考えたと述べている。この展開の仕方は、バルトが、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての「神の啓示〔啓示ないし和解〕裁き〔律法、死〕であることによって恵み〔福音、生〕である」と思惟し語っていることからして、また福音と律法を二元論的に分離し対立させて「律法→福音」という順序で論じたルターとは違って、律法(神の命令・要求・要請)は純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式であるとして「福音→律法」という順序で論じたバルトからして、バルトに一貫しているものである。また、バルトは、「救いの認識を、〔その一面だけを形而上学的に抽象し固定化し全体化して〕義認から(ルター主義)、聖化から(敬虔主義)、召命から(アングロ・サクソン系教会)考えず」、『福音と律法』に引き寄せて言えば、次のように考えたのである――「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子<の>信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく〔すなわち、ローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」の属格を「目的格的属格」(「イエス・キリスト<>信じる信仰」)として理解された信仰に由って生きるのではなく〕、神の子信じ給うことに由って生きるのだということである〔すなわち、ローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」の属格を「主格的属格」として理解された信仰、まさに徹頭徹尾神の側の真実としてのみある主格的属格として理解された「イエス・キリスト<>信ずる信仰」に由って生きるのだということである〕)』(ガラテヤ二・一九以下)。〔それ故に、〕(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいるしかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではないそのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」。われわれの召命」、「和解」、「義認」、「聖化」、「救済」、そして更新を可能とするのは、「今日に至るまで罪人の手に渡され十字架につけられ死んで甦られ給うたイエスキリストにある復活の力だけである」――このことが、「福音と律法の現実性における勝利の福音の内容である」。

 また、ブッシュは、「バルトは、義認においては単に人間が義認されるだけでなく、神もまた自分自身を義認する」と述べているのであるが、しかしこの記述も曖昧模糊としていて注意を要する。何故ならば、この「神もまた自分自身を義認する」という記述が、徹頭徹尾神の側の真実としてのみある主格的属格として理解された「イエス・キリスト<の>信仰」(「イエス・キリスト信ずる信仰」)による「律法の成就」・「律法の完成」そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものを意味しているのであればよいのであるが、字義通りに「神もまた自分自身を義認する」という意味で記述されているのであれば、ブッシュのこの曖昧模糊とした記述に対して、われわれは、はっきりと<を突き付けなければならない何故ならば、『教会教義学 神論』で「神の本質の単一性と区別」(神の本質の区別を包括した単一性)における「神的愛の完全性としての神の<あわれみ>と<義>」と述べている神学における<思想家>・バルトにおいては、「まことに罪なき、従順なお方イエス・キリスト」における神としての神は<義そのもの>であるから、「神もまた自分自身を義認する」というブッシュの記述は、全くあり得ないことであることからして、ブッシュはそのような誤解誤謬曲解に普遍性や組織性の後光をかぶせて記述していることになるからである。

 また、ブッシュは、先に述べた「バルトの救いの認識は、〔第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」としての〕エキュメニカルな神学を建てようとしたということだ」と述べているのであるが、しかし、バルト自身における『教会教義学』全体の主調音は、イエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)からして、Ⅰコリント3章、エフェソ214以下からして、「イエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉、キリスト教使信の中心は、〔教会共同性、教団共同性のような〕狭い共同体からその事実をまだ知らぬすべての他の人々広い共同体に向かっての運動において」、全世界としての「教会自身と世」のすべての人々に対して完全に開かれているということを、「聖書への絶対的信頼」に基づいて、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、実証するという点にある(『カール・バルト教会教義学 和解論Ⅰ/1』「和解論の対象と問題」)。また、木を見て森を見ないという仕方でその一面だけを形而上学的に抽象され固定化され全体化された「一面的な十字架の神学に対してはバルトは復活の朝を迎えたあとには〔すなわち、「キリスト復活の四〇日(使徒行伝一・三)」、「キリスト復活四〇日の福音」、「われわれの時間の中で、実在の成就された時間」、「まことの過去」<と>「まことの未来」を包括した「まことの現在」の後は〕、いかなる逆戻りもあり得ない」と述べている。キリスト復活から復活されたキリストの再臨(終末、「完成」)までの間は、聖霊の時代、中間時である。この聖霊の時代、中間時において、「救済、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>の中での神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」(「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」)に基づいて終末論的限界の下で贈り与えられる「信仰の中で持つことは約束として持つことであるわれわれはわれわれの未来の存在を信じる。われわれは死の谷のさ中にあって、永遠の生命を信じる。この未来性の中でわれわれは永遠の生命を持ち所有する。この信仰の確実性は、希望の確実性である。新約聖書によれば神の恵みの賜物である聖霊を受け〔「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、客観的なその「死と復活の出来事」における「イエス・キリストの啓示の出来事の中で主観的側面として「キリストの霊」である「聖霊を受け」〕、満たされた人は召されていること和解されていること義とされ聖とされ救われていることについて語る時、<すでにいまだにおいて終末論的に語るここで終末論的とは、われわれの経験と感性〔すなわち、人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍〕にとっての<いまだ>であり、〔徹頭徹尾神の側の真実としてのみある〕成就と執行、永遠的実在として<すでに>ということである」(『教会教義学 神の言葉』)。

バルトは、第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての「神学が、対象の認識に失敗するならば、全体が失敗である」と考えたから、「少なくともそこで正しい道を歩んでいれば、全体もまた、そう簡単に間違っているとはいえない」と考えた。こう考えたバルトは、「ヨハネ福音書一一四があらゆる神学の中心であり、<主題でありもともと神学の全体の簡潔な表現である」と述べた。「知恵と知識の宝はすべてキリストの内に隠されているコロサイ書二)」。したがって、われわれ人間の、その個(人間の個)と現存性(人間の個の時間性、自己史・個体史)およびその類(人間の類)と歴史性(人間の類の時間性、歴史・世界史・人類史)の生誕から死までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」(カール・バルト『ヨブ』ゴルヴィツアー編)場所は、それ故に「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る教会の宣教における「福音が、理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと、鋭さをなくした十字架象徴論へと、イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎない神秘主義へと変わって行くことが見渡せる」(前掲書)場所はただイエスキリストにおける啓示の場所だけである。このイエス・キリストにおける神の自己啓示は、「啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>を持っている、客観的な「存在的な<必然性>」――すなわち、客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」<と>その中での主観的側面としての主観的な「認識的な<必然性>」――すなわち、「客観的な啓示の出来事の中での主観的側面」としての「復活され高挙されたイエス・キリストから降下し注がれる霊である」・「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」を前提条件とするところの、客観的な「存在的な<ラチオ性>」――すなわち、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の第二の存在の仕方における神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(すなわち、「最初の起源的な支配的な<しるし>」)であるイエス・キリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)における「その最初の直接的な第一の啓示ないし和解の概念の実在」(「預言者および使徒たちのイエス・キリストについての言葉、証言、宣教、説教」)としての第二の形態の神の言葉(すなわち、「啓示との<間接的同一性>〔啓示との区別を包括した同一性〕」において存在しているその「最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」)である聖書、この聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした教会の<客観的な>信仰告白および教義(Credo)としての第三の形態の神の言葉(すなわち、「啓示の<しるし>」の<しるし>)である教会の宣教の現存<と>主観的な「認識的な<ラチオ性>」――すなわち、徹頭徹尾聖霊と同一ではないが聖霊によって更新された人間の理性性を持っている。ブッシュは、バルトが、「私は、いかなるキリスト論の原理も、キリスト論の方法をも持っていません。むしろ私は、……キリスト論の教理にではなく、〔「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」し、啓示自身がその「啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>を持っていることからして、起源的な第一の形態の神の言葉自身がその言葉自身の出来事の自己運動を持っていることからして、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉である>〕イエス・キリスト自身(彼ハ生キ、治メ、勝利スル)に焦点を向けていこうと努めているのです」と述べていたと記述している。

 「バルトが教会教義学 和解論の仕事に取り組んでいた時さまざまな解釈と批判的評価がなされた」。そうした中で、バルトは、「イエス・キリストへの集中という点に向けられた批判だけを重大なものとして受けとめた」。「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る「フォン・バルタザールが『カール・バルト』で、キリスト論的狭隘である」とバルトを批判したことに対して、すなわち「キリスト自身の他に、キリストの歴史の聖なる反復が必要である」とバルトを批判したことに対して、バルトは、「唯一無比なるイエスキリストの存在と行為はいかなる反復をも必要としない彼は彼自身の真理と力によって現臨し活動すると根本的包括的な原理的な反批判を行った。何故ならば、イエス・キリストにおける啓示は、「啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力」の<総体的構造>を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を持っているからである。もしもそうでないとしたならば、「イエス・キリストは……キリスト教信仰の対象と起源であることを止めてしまう」からである。また、ボンヘッファーの「獄中書簡(『抵抗と信従』)……に現われた『啓示実証主義』という用語は、その後さまざまに変化しながらバルト批判に用いられた」。ベルトールト・クラッパートもこの「啓示実証主義」という言葉を使ってバルトを批判している。すなわち、パンネンベルクを『バルト=ボンヘッファーの線で』において紹介しているクラッパートは、パンネンベルクが、「バルトの神学的前提である啓示実証主義は、極めて主観的な経験に基づく啓示の主観的要求であり、啓示の主観主義であると批判している」という仕方で報告している。しかし、この批判が、ただ「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る「人間学の後追い知識」を目指すところでなされた曲解と悪意に満ちただけの水準のものでしかないことは明らかである。何故ならば、バルトは、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示の認識の問題を、明確に提起しているからである。すなわち、バルトは、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)の問題を明確に提起しているからである。ベルトールト・クラッパートおよびパンネンベルクについては、Jimdofreeのホームページ>「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」の「<6>.ユンゲル・モルトマン、エーバーハルト・ユンゲル、パンネンベルク」および「<9>.ルドルフ・ボーレン、ベルトールト・クラッパート、エーバーハルト・ブッシュ」を参照されたし

 

 バルトが和解論』……の各部を講義していた間に東西問題と並行してルドルフブルトマンにおける新約聖書の非神話化と実存論化との対立の問題が生じてきた」。「バルトにとっては、非神話化という言葉に対してよりも、むしろ……実存論化という言葉に対して保留をつけなければならなかった」。ブッシュは、「非神話化という言葉に対してよりも」と述べているが、しかし、バルトにとっては、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る「人間学の後追い知識」を目指すところの両者共に問題であった。何故ならば、バルトは、次のように述べているからである――「神話が事実として報告していることは、少なくとも潜在的に存在している根源的なそして自然的な結びつきとの関係の中に立っているところの、思弁の<前>形式として、世界史的に決して一回的な出来事ではなく、繰り返され得る出来事だからである」。バルトが、神話を「思弁の<前>形式である」と述べている時、神話は、抽象に抽象を重ねて抽象度を高めたところの自然から超出した「思弁の<前>形式」であり、それは、「人間自身の事柄として、歴史を意図しているのではなく、空間〔場所〕や時間を超越して(無空間的に、無時間的に)人間存在の基本的な諸関係についての物語の形で述べられた描写である」(『教会教義学 神の言葉』)。吉本隆明は、「世界のどの地域にもあてはまる未明の社会に普遍的にあった風俗や生活」について、次のように論じている――大和朝廷の側から神話の形で書かれた支配の歴史である「『古事記』や『日本書紀』の初期神話には、場所〔空間〕と時間が特定できない記述がある。すなわち、日本列島のどの地域・地勢・自然風土なのか場所が特定できない記述や、世代的継承・親子関係や兄弟姉妹関係と関わりのない無時間的な<ひとりの神>の概念の記述がある。例えば、初代天皇の神武天皇、カムヤマトいわれひこは、地名を名前とする日本列島に特徴的な呼称である。しかし、その祖先神であるヒコなぎさたけうがやふきあえずのみこと(波うち際に建てた産屋の屋根を葺くのが間にあわないうちに生まれた)は、日本語の人名とは思われない名称を持ったその場所を特定できないものである」。このように、人類は、農耕を主たる経済的基盤としていた人類史のアジア的段階においては「男・女神を要請した」が、狩猟採取を主たる経済的基盤としていた(自然生を主としていた)原始社会(アフリカ的、縄文的、先住インディアン的、先住アボリジニ的等の段階)においては、「無<性>神としての独神という幻想性〔観念性〕しかなかった」。「このようなことは、未明の社会の有力な人物の場合には、世界普遍的にあり得た」(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。また、バルトは、次のように述べている――「歴史主義は、人間精神が生み出したものを問題とする限り、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別〕啓示を問おうとしないで人間精神の自己理解を第一義として聖書の中でも神話を問うことをする。しかし、啓示の証言としての聖書の理解と、神話の証言としての聖書の理解は、相互排除の関係にある。したがって、聖書記事を歴史物語とみなし、聖書記事の一般的な歴史性(Geschitlichkeit)を問題化することは、証言としての聖書の実体を攻撃しないが、しかし、聖書記事を神話として受けとることは、証言としての聖書の実体を攻撃する。なぜなら、〔「われわれの時間の中で、実在の成就された時間」、「われわれのための神の時間」である〕啓示は、〔われわれの時間としての、すなわち人間の類の時間性としての〕歴史の枠に、はめ込まれてしまうような歴史的出来事ではないからである。したがって、聖書記事の歴史は、一般的な歴史性を含んではいるが史実史ではない歴史物語、古譚として受け取られなければならない」、また「神話的世界像神話的人間像は時代の経過とともに、われわれの前から消え去ってしまうしわれわれの眼前存在、現前性は近代的な世界像、人間像にあるから神話形式のままでは、新約聖書の言表、すなわち語られた内容の表現は理解できないからそれは非神話化されなければならないブルトマンは前期ハイデッガーの哲学原理に基づく絶対的規準としての先行的理解解釈学的原理に依拠して思惟し語るが、換言すれば前期ハイデッガー哲学という「人間学の後追い知識」において「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語るが、それに対してバルトは、「聖書註解者は、だれに対して、誠実と真実をささげるべきなのか? 責任的応答をなすべきなのか? 同時代の人たちの思考の前提に対してか? そこから形成された理解の規準に対してか?――否である。われわれは十字架につけられ復活したイエスキリストにおけるわれわれの実存という場所においてわれわれの信仰より以前にも信仰なしでも、……不信仰に抗してもわれわれのために生きてわれわれを支配しわれわれを愛し給うイエスキリストを、〔イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて〕認識し〔信仰し〕、持つことができることを示すということ以外の何が問題となるのだろうか?」と、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした「『<非>自然』な神学」の<段階>で思惟し語る。何故ならば、「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった。また、その時、哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる、キリスト教哲学は、それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかったし、それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」からである(『教会教義学 神の言葉』、『ルドルフ・ブルトマン』)。

 

 19539ブッシュは、「バルトが、プファルツ州牧師と信徒との対話において、『私たちはキリスト者として、最も多様な考え方で考え抜いてみる自由を持たなければなりません。例えば、私がマルクス主義者にならずに〔すなわち、マルクス主義から対象的になって距離をとるという仕方で〕、マルクス主義の諸要素を考え抜いてみることも出来ます』、また『私自身は、〔人間に内在する神的本質の原理を発見した、人間の自由な自己意識・理性・思惟の類的機能を持った「自己への信頼としての自信自恃の哲学、人間の時代の哲学」(『ヘーゲル』)を築いた、人間中心主義において人間の神化あるいは神の人間化の原理を発見した、それ故に「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間と無限の質的差異を固守するという<方式>を揚棄し全く廃棄してしまった、包括的に言えば「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る〕ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでもヘーゲル的に考えるのが好きです。そのために私たちはキリスト者として、そういう自由を持っているのです』」と語っていたと記述しているしかし、この「私自身は、ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでもヘーゲル的に考えるのが好きです」という言葉だけを、木を見て森を見ないという仕方で、すなわちその言葉だけを形而上学的に抽象し固定化し全体化して記述しているところの、そのブッシュの記述には最大級の注意が必要である何故ならばそのような発言は神学における思想家>・バルトの真の処女作ローマ書』「第二版以降では絶対的にあり得ないことであるから、もしもそのような発言があったとしたならば、そのような発言は、バルトの真の処女作『ローマ書』「第二版」のそれ以前のさらにそれ以前のことであることは確実なことであるこのような誤解・誤謬・曲解に「普遍性と組織性をかぶせて語られた」ブッシュの記述については、「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>(その2)の「3.「『<非>自然』な神学」の完成の書としての『教会教義学』への道程」の「1939年秋」のところを参照されたししたがって、バルトが、真の処女作『ローマ書』「第二版」以降において、もしもヘーゲルについて語ったとするならば、ただマルクスのように常にヘーゲルから対象的になって距離をとるという仕方においてだけ、それ故にただマルクスのようにヘーゲルを<否定的に>媒介するという仕方においてだけであることは、確実なことである。また、ブッシュは、同じ「19539、プファルツ州牧師と信徒との対話」で、バルトは、「私は折衷主義に立っています」と語ったという記述もしているのであるが、しかし、このようなことも真の処女作ローマ書』「第二版以降における神学における思想家>・バルトにおいては絶対的にあり得ないことである何故ならば神学における思想家>・バルト自身は、真の処女作『ローマ書』「第二版」以降は、最後の最後まで(逝去した年の『シュライエルマッハー選集への後書』、すなわち邦訳J・ファングマイヤー『神学者カール・バルト』「シュライエルマッハーとわたし」まで)、「教義学的な合理主義を明確に否定する」という立場、また「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持するという立場、また第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」を堅持するという立場を一貫性をもって貫徹したし・貫徹し続けたからである。このことは、真の処女作『ローマ書』「第二版」以降の著作を読めば明らかなことである。したがって、ブッシュのような記述を読むと、ブッシュはそういった資料を、真の処女作『ローマ書』「第二版」以降のバルトの思惟と語りの全体性において客観的に精査して使っていないということが分かるし、ブッシュは神学における思想家では全くなくてただ単なる著述家に過ぎないということが分かるのである。したがって、ブッシュがバルトの秘書をしていたからといって、ブッシュの記述を「そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がよい」(吉本隆明『自立の思想的拠点』「日本のナショナリズム」)のである。何故ならば、もっと言えば、1934年の「スイスのラ・シャテーニュレーで開かれた男女学生の国際協議会で行われた講演、証人としてのキリスト者」で、バルト自身は、「或る日本人の教授〔滝沢克己だと思う〕に関する逸話が語られたが、彼は、内面的生活のために〔ただの人間〕カール・バルトを尊敬し、外面的生活のために〔ただの人間〕カール・マルクスを尊敬するということに、賢さの帰結を見出したと考えたというのである。諸君は、ここに、あらゆる人間的な賢さから逃れることをしないで・その中に避難しようとする人間の典型的な一例を見る。しかし一切は彼が、〔ただの人間である〕この二人のカールを後にして、回れ右をして、出来る限の速力で、ここから離れて、〔Ⅰコリント3章、エフェソ211-22からして、〕あそこへ〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている「ただイエスキリストの>だけ」へ〕急ぐということにかかっている……」と語っているからである。また、1968年逝去の年バルトは、「私が……語るべき最後の言葉は、<恩寵>といった概念ではなく、一つの名前イエスキリストなのですと語っているからである。ここに、晩年まで一貫性をもって貫徹された神学における<思想家>バルトの思惟と語りがある。

 ブッシュは、邦訳『創造論 Ⅱ/1』において、「バルトがイエス・キリストを語る人が、神の子の卑下についてだけ語るのは不可能である。彼はまさにそれによって人の子の高挙について語っている」と述べた言葉を引用している。この言葉は、客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」(客観的な「存在的な<必然性>」)からして、木を見て森を見ないという仕方でただ「十字架の死」のその一面性だけを形而上学的に抽象し固定化し全体化した「十字架の神学」をバルトが批判し、「復活日の朝を迎えたあとには、いかなる逆戻りもあり得ない」(邦訳『和解論 Ⅰ/2』)と述べた言葉の言い換えである。「甦えりの証人である新約聖書の証人たち」は、「キリスト復活の四〇日(使徒行伝13)」、「キリスト復活四〇日の福音」、「われわれの時間の中で、実在の成就された時間」、「まことの過去」と「まことの未来」(復活されたキリストの再臨、終末、「完成」)を包括した「まことの現在」を「おぼえる想起において、〔その復活に包括された〕キリストの死とキリストの生涯を想起する時、光を得た」のである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、キリスト復活から復活されたキリストの再臨までの聖霊の時代、中間時に生きるわれわれは、バルトのように、復活されたキリストの再臨、終末、「完成」を待望しつつ、次のように述べることができるのである――「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な倫理的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)、「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラトのともがらと成ることができようか」(『カール・バルト著作集10』「教義学要綱」)、と。

 さて、「スカンディナビア人のヴィングレンは、バルトには神=悪魔図式が欠けていると批判したことに対して、バルトは、私に反論する人は、ただ私の全構築に対応する各自の構築を立てるという形においてのみ可能であり、そんな……たわごとを持ち出すくらいでは駄目である〔換言すれば、「私に反論する人は」、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」の<段階>で思惟し語るという自らの立場において、根本的に原理的に包括し止揚するという仕方でしか「反論」することはできない〕」と述べている。

 ブッシュは、バルトは「キリストとアダムにおいて、救済秩序が創造秩序に先行するキリスト中心主義を主張した」と述べている。このことは、「創造は、契約の外的根拠として、イエス・キリストが始原であり中心であり終極である恵みの契約の歴史のための場所設定である。また、恵みの契約の歴史は、創造の内的根拠として、創造の目標であるその契約の歴史の始原であり、中心であり、終極であるイエス・キリストご自身である」ということである。しかし、「創造された世界における神の愛とわれわれの世界におけるイエス・キリストの事実の中における神の愛との間には差異がある。後者の神の愛は、まさしく神に対し罪を犯し、負い目を負うことになった人間の失われた世界に対する神の愛である。すなわち、和解ないし啓示は、創造の継続や創造の完成ではない。この意味は、和解ないし啓示は、〔神の第二の存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事)における〕新しい神の業である。それは、神的な愛の力、和解の力である。〔神の第二の存在の仕方である〕イエス・キリストは、和解主として、〔その第二の存在の仕方において、〕〔起源的な第一の存在の仕方である〕創造主のあとに続いて、第二の神的行為を遂行したのである。創造と和解のこの順序に、キリスト論的に、父と子の順序、父〔啓示者・言葉の語り手・創造者〕<と>子〔啓示・語り手の言葉(起源的な第一の形態の神の言葉)・和解者〕の順序が対応しており、和解主としての〔神の第二の存在の仕方である〕イエス・キリストは、創造主としての〔神の起源的な第一の存在の仕方である〕父に先行することはできないのである。しかし、父と子は共に、〔「自自己自身である神」としての「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」として、「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質としていることからして、〕この従属的な関係は、〔「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、すなわち父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>)における〕その起源的な第一の存在の仕方と第二の存在の仕方の差異性における従属的な関係を意味している」(『教会教義学 神の言葉』)。

 

(文責:豊田忠義)