2.成熟の書としての『福音と律法』への道程

 

 ここで成熟の書としての福音と律法への道程とした理由は次の点にある――第三の形態の神の言葉である教会の宣教およびその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学に携わるただの人間バルトこの神学書、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』を経由させたところで、「『自然神学の問題を明確に提起したものであるという点にあるすなわち「『自然神学を根本的包括的に原理的に止揚し克服するものであるという点にある。言い換えれば、この書が、近代以降においてまさにフォイエルバッハが客観的な正当性と妥当性とをもって根本的包括的に原理的に批判した「『自然』神学」の系譜に属する近代主義的プロテスタント主義的キリスト教に根拠を与えるところの、ローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト信仰」の属格を<目的格的属格(すなわち、「イエス・キリスト信じる信仰」)として理解したところの、それ故に結局は第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神だけでなく生来的な自然的なわれわれ人間も生来的な自然的なわれわれ人間の「自主性」・「自己主張」・「自己義認」の欲求も(このことこそ、「不信仰」・「無神性」・「真実の罪」である)ということを要求するところの第三の形態の神の言葉である教会に属するただの人間ルターの翻訳〔既存の聖書訳〕絶対化>〔換言すれば、その無謬性」〕」否定的に媒介して自然神学の問題を明確に提起したものであるという点にある。もっと詳しく言えば、この書が、「自己自身である神」としての自己還帰する対自的であって対他的な(それ故に、完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において存在している「父なる名の<内>三位一体的特殊性」・「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、すなわち父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>)における第二の存在の仕方(子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事)、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>」)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」)、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」――このイエス・キリスト自身によって直接的に唯一回的特別に召され任命されたその人間性と共に神性を賦与され装備された「預言者および使徒たちのイエス・キリストについての言葉、証言、宣教、説教」、すなわち「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストの<まことの神性>」――すなわち「権威」<と>「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストの<まことの人間性>」――すなわち「自由」によって「賦与され装備された権威と自由を持つところの第二の形態の神の言葉である聖書」(換言すれば、「啓示との<間接的同一性>〔啓示との区別を包括した同一性〕」において存在している「最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」である聖書)、それ故に起源的な第一の形態の神の言葉である「先ず第一義的に優位に立つ原理〔・規準・法廷・審判者・支配者・標準〕としてのイエス・キリストと共に、〔第三の形態の神の言葉である「教会に宣教を義務づけている」〕教会の宣教における原理〔・規準・法廷・審判者・支配者・標準〕である聖書」を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、終末論的限界の下でのその途上性で、聖書に対する「他律的服従」とそのことへの決断と態度という「自律的服従」との全体性において、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求める「神への愛」(「教えの純粋さを問う」<教会>教義学の問題、<福音主義的な>教義学の問題)<と>そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題)という連関と循環において、それぞれの時代、それぞれの世紀、その時代と現実に強いられたところで、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性(換言すれば、第二の形態の神の言葉であるⅠコリント310-11、エフェソ214における秩序性に基づいた第三の形態の神の言葉である教会共同性)を目指して行くべきであるということを明確に提起することによって、客観的な正当性と妥当性とをもって根本的包括的に原理的に「『自然神学を止揚し克服し、「『<自然な神学段階へと移行させたものであるという点にある。バルトは、「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に基づいて、それ故にⅠコリント310-11、エフェソ214における<秩序性>において、客観的な「存在的な<必然性>」――すなわち、客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事」<と>その中での主観的側面としての主観的な「認識的な<必然性>」――すなわち、その「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「復活され高挙されたイエス・キリストから降下し注がれる霊である」・「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」を前提条件とするところの(換言すれば、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」を前提条件とするところの)、その中での主観的側面としての主観的な「認識的な<ラチオ性>」――すなわち、徹頭徹尾聖霊と同一ではないが聖霊によって更新された人間の理性性<と>客観的な「存在的な<ラチオ性>」――すなわち、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の第二の存在の仕方における神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>」)であるイエス・キリスト自身を起源とする「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、Ⅰコリント310-11およびエフェソ214における秩序性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)における「その最初の直接的な第一の啓示ないし和解の概念の実在」としての第二の形態の神の言葉(「その最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」)である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした教会の<客観的な>信仰告白および教義(Credo)としての第三の形態の神の言葉(「啓示の<しるし>」の<しるし>)である教会の宣教が現存しているということからして、「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っているということであり、われわれ以前の人々によってなされた教義学的作業の成果は、根本的には……真理が来るということの<しるし>である」ということを承認し確認し確信しているのである。したがって、バルトは、第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」に基づいて、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求めた」(『啓示・教会・神学』)のである。したがってまた、ルドルフ・ボーレン自身の自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された彼自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」としての神に関わる「聖霊論的説教論」の概念(人間学的神学としてのその概念)における「神の言葉」(具体的には、聖書)だけでなく「人間の経験」の尊重、すなわち近代における人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍の尊重、そして「人間学」の尊重は、まさに「『自然』神学」へのベクトルの強調でしかないものなのである。この場合、中世の時代と違い、近代以降においては、例えばそのルドルフ・ボーレンの賛同者の東北学院大学の神学者・佐藤司郎や東京神学大学の実践神学者・小泉健が主張する(空想し幻想する)「人間学に対する神学の優位性を確保」することは全くできず、<神学は人間学の婢となる>ほかはないのである。何故ならば、中世においては、その比較衡量の下で、<哲学は神学の婢>という幻想性が成立し得たが、近代以降はそのような幻想性は全く成立し得ないことは明らかであるからである。その典型的な証左は、ハーデッガー自身による、前期ハイデッガーの哲学原理に依拠したブルトマン(ブルトマン学派)に対する、客観的な正当性と妥当性とをもった根本的包括的な原理的な「揶揄」・批判である(木田元『ハイデッガーの思想』)。その時、ブルトマン(ブルトマン学派)における神学は、自然時空に死語化したのである、それ故にそれが観念を本質としている限り復古することはあり得るとしても(復古することはできるとしても)、復古したそれは、「存在者レベルでの神」・「存在者レベルでの神の啓示」・「存在者レベルでの神への信仰」として、<客観的に>は、すでに自然時空に死語化したものに過ぎないものなのである。なお、「福音と律法」、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)、「存在的な<必然性>」と「認識的な<必然性>」を前提条件とする「存在的な<ラチオ性>」と「認識的な<ラチオ性>」、「『自然』神学」については、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「9.『福音と律法』および『神の恵みの選び』について」「6.「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)について」「10.『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』について(その4)」にある「<バルトの総括>」、「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その2)および(その3)」、を参照されたし。

 

 1930年春、バルトは、「ボン大学に、組織神学の教授として招聘される」、44歳の時である。このボン大学におけるバルトの「キリスト論の講義には、滝沢克己も参加していた」。滝沢克己については、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」を参照されたし。

 1930、バルトは、次のように述べている――「われわれは……思想と行動の基本線については、善きにつけ悪しきにつけ、関心をもつ同時代人に自分を知らせ、できるかぎり理解させることもできるようになった」、と。しかし、このことは、『バルト自伝』によれば、「仕事をやりとげた」ということではなくて、「やっと手に入れた立場の内的・外的なテストと確証が、今初めて行なうことができる」地平に立ったということを意味している。

 

 1931年夏に完成され出版された『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』によって、バルトは「キリスト教の教理を、〔「『自然』神学」の<段階>で停滞し循環して〕哲学的に、また人間学的に……基礎づけ、解明するという古い神学の最後の残渣からの解放を行った」。何故ならば、「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった。神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった。またその時、哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる。キリスト教哲学は、それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった。また、それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」からである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、バルトは、『バルトとの対話』では、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、〔聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕)としての〕神学は哲学的試みが終わるところから始まる」、神学も類的機能を持つ自由な人間の自己意識・理性・思惟を駆使しての理性的な知的営為ではあるが、「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」と述べている。アンセルムスの『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』については、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「10.『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』について(その4)」にある「<バルトの総括>」を参照されたし。バルトは、「私が神学者として〔哲学者の〕彼らの誰とも自分を結びつけようとは考えていないことを実際に示せば示すほど、それだけ私に注目し、……私を尊敬してくれた」と述べている。この時には、バルトだけでなく相手方も、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>(『ローマ書』)を認識し自覚していたのである。バルトの演習に出席するためにやってきたミュンスター大学の哲学教授のハインリッヒショルツに対してバルトは、「神学はイエスキリストの死人の中からの復活に基礎をおくと言明したことに対して、「シュルツは真剣にバルトを見つめて、……『それは物理学と数学と化学のすべての法則と矛盾するしかし君が言おうとすることがやっとわかったと言った」。

 さて、「バルトにとって、弁証法神学の代表者たちとの関係は、いよいよあやしい雲行きになって行った。そのようになることは、われわれが根本的に……わずかな共通点しか持っていなかったから当然であった」とバルトは述べている。彼らとの、決定的な根本的包括的な原理的な差異は、バルトにとっては、ゴーガルテンも、ブルンナーも、ブルトマンも、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を認識し自覚し堅持していないという点にあったし、それ故に彼らは、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神だけでなく生来的な自然的なわれわれ人間も、生来的な自然的なわれわれ人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求もという仕方での「神人協力」の神学、「混合神学」、「人間学的神学」、「哲学的神学」を目指していたという点にあった、もっと包括的に言えば、彼らの神学が「『自然』神学」へのベクトルを持っていたのに対して、バルトの神学はそれを根本的包括的に原理的に止揚し克服した「『<非>自然』な神学」のベクトルを持っていたという点にあった。「『自然』神学」の<段階>で思惟し語っているブルンナーについては、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」を参照されたし。

 バルトは、時代と現実から強いられて、すなわち「神学上の、教会内の、さらに一般社会の状況の変化」に強いられて、『教会教義学』を、「主としてアンセルムス研究書のための勉強の成果の進展によって、全く新しくやり直さなければならず、またどのようにやり直さなければならないか、教義学における問題の中心は何でなければならないのかを考え、それは、われわれに語られた生きた神の言葉としてのイエス・キリストについての教説ということについて明確に認識した」。バルトは、『カント』で、「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰であるとした〔「『自然』神学」の<段階>で停滞している〕カントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、〔「教義学的な合理主義を明確に否定せず」、「『自然』神学」の<段階>で停滞して思惟し語る〕アウグスティヌスの教説と一致する」と述べている。アウグスティヌスとは違って、アンセルムスは、「教義学的な合理主義を明確に否定した」のである、「『自然』神学」の問題を明確に提起したのである、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>を明らかにしたのである。アウグスティヌスについては、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)を参照されたし。アンセルムスについては、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「10.『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』について(その4)」にある「<バルトの総括>」参照されたし。

 バルトは、次のように述べている――「私の新しい課題は、以前に語ったすべての事を全く違った形で、すなわち今度はイエス・キリストにおける神の恵みの神学として考え直し、表明し直すということであった。……そしてそこで私が経験したのは、この集中〔「キリスト論的集中」〕によって、すべてのことを、以前よりもはるかに明瞭に、はるかに確実に、はるかに単純に、信仰告白に対してはるかにふさわしい形で、それと同時に、はるかに自由に、はるかに開放的に、またはるかに包括的に、語り得るという事実であった」、ちょうど先行する「神の用意」に包摂された後続する「人間の用意」ができているところの、「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」(徹頭徹尾神の側の真実としてのみある、神の側からする神の人間との架橋)であり、「神との間の平和」(ローマ五・一)であり、それ故に神の認識可能性であるところの、「自己自身である神」としての聖性・秘義性・隠蔽性において存在している「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」における第二の存在の仕方、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の言葉で、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」)イエス・キリストにおいて、「神の用意の中に含まれて、人間にとって、神に向かっての、したがって神認識〔信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事〕に向かっての人間の用意が存在する」、すなわち「先行する神の用意」に包摂された「後続する人間の用意」という「人間の局面は、全くただキリスト論的局面だけである」というように。「というのは、以前には私が……教会の伝承〔「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)〕によるよりは、むしろ〔「『自然』神学」の<段階>における〕哲学の体系という卵の殻によって……少なくとも部分的には妨害されていたからである」。この「キリスト論的集中」によって、「教会の伝承と宗教改革者たち、特にカルヴァンとの、高級な意味での<批判的>対決へと向かったし、正統派カルヴァン主義者にもなりえなかったからこそ、ルター派教派主義にも、いかなる同情をも捧げることはできなかった。教派主義的教義学を書くつもりもなかった」第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての「神学はまさに神の言葉の真理の自己証明のみを信頼すべきである、すなわちイエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における神の言葉の現存がその証左であるところの起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動に信頼すべきである。「この信頼が、すべてのキリスト教的、非キリスト教的な思考形式とイデオロギーと神話と世界観と諸宗教に対するかかわりにおいて、神学の(弁証論的な)力となる。(中略)この信頼によって神学は、他の諸学問の中にあってそれ自身の法則に忠実に、したがってできるかぎり徹底的であると共に、すっきりした知的な仕事を遂行しようと努力することができる」。教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての「神学は、神の言葉の真理性について証しすることができるだけである」、また「神学の対象は、神と人間の、また人間と神の関わりの歴史であり、この歴史は〔換言すれば、人間<と>「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方、神の起源的な第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父――すなわち啓示者・言葉の語り手・創造者、神の第二の存在の仕方である子としてのイエス・キリスト自身――すなわち、啓示・語り手の言葉(起源的な第一の形態の神の言葉)・和解者、神の第三の存在の仕方である神的愛に基づく父と子の交わりとしての聖霊――「啓示されてあること」・「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)・救済者なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>との関わりである歴史は〕、……〔第二の形態の神の言葉である〕旧・新約聖書の証言によって語り伝えられ、〔その聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした第三の形態の神の言葉である〕キリスト教会の使信の起源であり、内容にある」から――すなわち「この意味で理解された<神の言葉>」にあるから、そしてこの先行する「神の言葉の至高の自由によって基礎づけられ、その自由によって規定されているからこそ、……〔第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての〕自由な学であり、それ故にまさに〔学業的なただ「単なる知識」としての〕組織神学ではない」のである。したがって、バルトは、第三の形態の神の言葉である教会の宣教にける一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての<教会>教義学(<福音主義的な>教義学)を、〔例えば、ハイデッガー自身から「揶揄」され批判されたところの、<前期>ハイデッガーの哲学原理に依拠したブルトマンのように〕決してある一定の哲学を基準として選ばれたある種の基礎概念を前提とし、それに対応する方法によって構築された思想体系である組織神学として構成しようとはしなかった」のである。第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての「神と神の言葉の認識可能性は、自然的に、状態として、『存在論的に』人間に与えられているのではない」、それ故に「『自然』神学」の対象とはなり得ないのである。すなわち、それは、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての「神の言葉そのものの中にのみある」、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、起源的な第一の形態の神言葉自身の出来事の自己運動の中にのみある。第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての「神が、〔「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な第二の存在の仕方における〕その啓示において父、子、霊であるのは、神が、〔「自己自身である神」としての「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」として〕、本質的において〔その内在的本質からしても〕『もともと』、『前もって、それ自身において』父と子と霊であるからである」。バルトは、観念的威力として伝統的な根強さのある、「『自然』神学、<反>キリスト、『存在ノ類比』に依拠するカトリック主義は〔ローマ・カトリックだけでなく、プロテスタントにもある「ルターの翻訳の<絶対化>」(その「無謬性」)、人間中心主義の近代主義的プロテスタント主義は〕」、「プロテスタント教会にとっての、非常に強力な、深い、最終的には唯一の、真実に取り上げるべき対象であり、対話の相手である」が、それは、根本的包括的に原理的に止揚し克服すべき対象であり、超出して行くべき対象である、「それに比べると、理想主義や人智学や民俗宗教や無神論運動などは『児戯』に等しい」と述べている。

 

これらのバルトの道程は、1931-32の間におけるそれである。因みに、1930から1933までの間に、時代は、次のよう動いていた。1930、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が第2党の地位を獲得する。1931、バルトは、「社会主義の理念と世界観に対する信仰告白としてではなく」、そのような時代と現実に<不可避的に>強いられて「実際的な政治的決断において、ドイツ社会民主党に入党する」。1932、大統領選挙にヒトラーが出馬し次点となる、と同時にナチ党が第1党となる。そして、1933の全権委任法の制定へと向かっていく。

 

 バルトは、それぞれの時代、それぞれの世紀、その時代と現実に強いられたところでなされる、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である「教会の宣教は〔すなわち説教(言葉)と聖礼典は〕、無秩序の中にある異教の国(ポリス)に公正を実現するように呼びかける限り、ソレ自体〔不可避的に〕政治的とならざるを得ない」し、それ故にその説教の言葉が、おのずから自然に必然的に政治的な行動(行為)へとつれ出して行くことになると述べている。したがって、このバルトの思惟と語りは、説教(言葉)と社会的政治的実践(行為)を二元論的に対立させて、説教(言葉)だけでなく社会的政治的実践(行為)もと声高に叫ぶこととは全く違っている――バルトの場合は、それが社会的なそれであれ政治的なそれであれ、「聖書への絶対的信頼」に基づいて、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした「かつて語った説教〔言葉〕の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして、おのずから〔、自然に、必然的に〕実践に、決断に、行動〔行為〕になって行った」のである、言葉がおのずから・自然に・必然的に行為へとつれ出して行ったのである。したがつて、バルトは、「教会の宣教が表明するものが、<具体的な神の戒め>であるならばよいが〔換言すれば、区別を包括した単一性において、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした「教えの純粋さを問う」<教会>教義学の問題である「神への愛」<と>、そのような「神への愛」を根拠としたところの<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題である「神の讃美」としての「隣人愛」であるならばよいが〕、それが、〔ある社会構成—―支配構成を前提としたところの観念の共同性を本質とする国家に第一義性・価値性を置く国家主義的国家(<社会主義>国家だけでなく、<近代主義>国家・<自由主義>国家等もそうである)、擬制民主主義としての議会制民主主義、それが西側のそれであれ東側のそれであれ戦争の元凶である民族国家、西側あるいは東側の〕政治的イデオロギーという<抽象的真理>であるならばよくない」と述べている。バルトのこの立場は一貫したものである。「宣教活動に対する神学の課題は、『武器』を準備することにあるのではなく」、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、終末論的限界の下でのその途上性で、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求める「神への愛」<と>そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関と循環において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性を目指して行くことを通して、『宣教活動の根拠と対象に対する』関係を問う『問い』を立てることにある」。このことから、「われわれは、ここでもまた、『自然神学』と『存在ノ類比』……の問題に対するバルトの強靭な<対決>に……気づく」。バルトは、『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』では、次のように述べている――「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な倫理的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」。また、バルトは、『啓示・教会・神学』では、次のように述べている――「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている。国家は支配であり、文化は支配である。したがって、〔それが西側のそれであれ東側のそれであれ、それ以外のそれであれ、〕どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』と言ってはならない」。また、バルトは、『教会教義学 神の言葉』では、次のように述べている――第三の形態の神の言葉である「教会の宣教〔説教と聖礼典〕をより危険なものにしてしまわないために」、「福音が純粋ニ教エラレ聖礼典が正シク執行サレルということがなされないままに、礼拝改革とか、キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考えてはならない」、「宣教の規準を、聖書と同時に、最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断あるいは哲学、道徳、政治等に置いてはならない」、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合おうとしてはならない」、「社会機構、あるいは経済機構の保持、廃止に貢献しようとしてはならない」、と。因みに、「国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考えてはならない」について言えば、次のように言うことができる――もしもバルトの<一面に>エキュメニズム的側面があるとするならば、バルト<自身>のそれは、聖書のⅠコリント310-11、エフェソ214以下における秩序性のある言葉からして、その聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする立場において、「『自然』神学」の問題を明確に提起するということ、すなわち「『自然』神学」を根本的包括的に原理的に止揚し克服するということを意味しているのであって、それ故にこのバルトのような観点を持たないところの、ただ東北学院大学の人文科学系の学問と研究の自由な場である「大学社会」の中にどっぷりと浸かった神学者として「『自然』神学」の<段階>で停滞し循環して論じている佐藤司郎のエキュメニズムとは全く異なっているのである。第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、特別啓示の真理を対象とする第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学(「『<非>自然』な神学」)<と>一般的啓示、一般的真理を対象とする「人間学の後追い知識」としての「『自然』神学」の<段階>で停滞し循環する神学、「混合神学」、「人間学的神学」、「哲学的神学」との間には、その対象の次元の差異性だけでなく、根本的包括的な原理的な立場の差異性――すなわち、前者のキリストにあっての神としての神の特別啓示、特別啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学(「『<非>自然』な神学」)に立脚するという立場<と>一般的啓示、一般的真理、「存在の類比」、「『自然』神学」に立脚するという立場の差異性があるのである。その最初から最後まであくまでも大学神学者であろうとしている佐藤司郎は、バルトの名を借り持ち出してエキュメニズムを論じているのであるが、バルト自身とは全く違って、明らかに後者の「『自然』神学」に立脚するという立場でエキュメニズムを論じているのである。佐藤司郎は、まさに「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」者(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)として、まさに第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての学問としての<教会>教義学(<福音主義的な>教義学)を目指しているのではなく、<教会>教義学としては全く「<非学問的な>教義学」である「<形而上学的な教義学>」を目指しているのである(『教会教義学 神の言葉』)。

 

 1932から1933の冬学期に、バルトは、「説教学演習を行った」。その説教論の特徴」は、次のような点にある――第一に、「近代プロテスタント主義〔近代主義的プロテスタント主義的キリスト教的宣教〕の悲惨〔欠陥〕の全体は、その宣教が〔「聖書への絶対的信頼に基づく聖書講解説教」(『説教の本質と実際』)ではなく、「説教の本質と実際」からして批判されるべき〕主題説教〔時事問題を主題とした説教〕になってしまった」という点にある。したがって、第三の形態の神の言葉である教会の宣教における「説教は、〔Ⅰコリント310-11、エフェソ214以下からして、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)からして、第三の形態の神の言葉である教会に属する全くただの人間である〕説教者の自由事項〔独断事項〕ではないのであるから、自分自身の言葉から由来すべきではなく、どのような場合であれ、その形式と内容において、〔第二の形態の神の言葉である〕聖書への絶対的信頼に基づく、聖書講解であることの義務を負っている」のであるから、第二に、「説教にとって不可欠な条件は〔聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした教会の<客観的な>〕信仰告白箇条をとり上げるべきである」という点にある。「説教の無条件的な出発点と目的は、新約聖書において聞く啓示、和解、その内容であるインマルエル、神われらと共にいますである」。「われわれは、キリストからすべてのことを期待しなければならない。このことが終末論である。キリスト教的終末論とは、キリスト論にほかならない。ここで説教は、感謝と確信と共に期待の態度と行動である。第一の来臨〔その生誕、生涯、死と復活〕と第二の来臨〔復活されたキリストの再臨、終末、「完成」〕との間〔中間時、聖霊の時代〕に、説教と、また同時にキリスト者の生活全体とがある」、「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない〔それ故に、近代的な人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍や様々な情報が必要である〕と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生きようとしていないのである。福音は〔すなわち、客観的なその「死と復活の出来事」における「イエス・キリストの啓示の出来事」、「まことの過去」と「まことの未来」を包括した「まことの現在」としての「われわれの時間の中で、実在の成就された時間」、「キリスト復活の四〇日(使徒行伝13)」、「キリスト復活四〇日の福音」は〕、われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にあるから、われわれは、思想、最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさいを、聖書に聴従することの前で、放棄しなければならない」、第二の形態の神の言葉である「聖書は〔神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて起源的な第一の形態の〕神の言葉となるところで、聖書は神の言葉なのである」。このことについて認識し自覚していない時には、その「説教者の説教は、彼自身の独自な言葉〔自己主張、自己表現としての説教〕に過ぎなくなるのである」、それ故に彼自身の自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された彼自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」、「存在者レベルでの神の啓示」、「存在者レベルでの神への信仰」についての説教になってしまうのである。したがって、その「説教は、聖書神学と「『自然』神学」の結合……の実際的適用以外の何物でもない」ものとなるのである。また、バルトは、同じ冬学期、「19世紀神学を三度目に取り上げ、敬虔主義と啓蒙主義は、外面的に違っているが、内在的には『主権を要求する〔類的機能を持つ〕人間の〔自由な理性・思惟・〕自己意識の中に神を組み込む』試みだという点で一致している〔すなわち、包括的に言えば、「『自然』神学」の試みだという点で一致している〕」と述べた。

 

 さて、1933130、ヒトラーが政権の座につく。バルトは、「愛するドイツ国民が偽りの神を礼拝し始めるのを〔換言すれば、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストをのみ主・頭とするのではなく、ただ単なる人間自身の観念の共同性を本質とする国家(具体的には、ヒトラー政府・ヒトラー政権)を第一義性・価値性とし始めるのを〕、……見た」。この萌芽は、「19326に誕生した帝政復活を目ざす復古主義、権威主義政策を進めようとしたパーペン内閣にあって、結果的にはワイマール共和国の崩壊、ヒトラーの政権奪取の端緒になった」。この「パーペンが、次にシュライヒャ-が宰相になった時、バルトは、自分の部屋で荒れ狂い、暗い預言を口にした」。この時、バルトは、徹頭徹尾イエス・キリストをのみ主・頭とすべき教会自身が、そのナチス国家に対して、「それは敵対者だ」と認識し自覚する能力を持たないことを知るのである。すなわち、バルトは、第三の形態の神の言葉であるべき「教会が、教会自身とその使信と教会形態をナチ国家に『統制化』せよという要求を、即座に、明確に拒否することはできなかった」ことを見るのである。日本の教会も、戦前、天皇制国家に対して、「即座に、明確に拒否することはできなかった」。戦後過程においても、外在的に<悔改め>、観念の共同性を本質とする国家を第一義性・価値性とするところでの<愛国>および<憲法擁護>、戦争の元凶である民族国家を前提とした<平和を求める祈り>等という言葉だけが踊っているだけで、まだなお依然として、内在的に、その問題を明確に提起することができていないのである、それ故にその問題を根本的包括的に原理的に止揚し克服できていないのである。バルトは、「『時の間に』の友人たちの一部、学生と聴講者の一部までが、その統制化に加担し、あるいは少なくとも黙って承認するのを、悲しみと驚きをもって見つめた」。

1933には、「青年宗教改革派の一人として、さらにしばらくの間はドイツ・キリスト者の仲間として登場したゴーガルテン」について、バルトは、「ゴーガルテンが1920年代に行った『権威』についての講演その他を聞いて、すでにその頃から、この人はナチズムの知的創立者の一人だと考えていた」。戦前の天皇制国家下の日本においても、「国家〔具体的には、政府・政権〕の政策を、〔大学に関わる、政治に関わる、宗教に関わる等々の〕知識人があらゆるこじつけを駆使して合理化し、それを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家を推進し」、他国の大多数の被支配としての一般大衆や自分や自分の「家族や親族や友人を死に追いやって行った」(吉本隆明『日本のナショナリズム』)。現在でもなお、自国の利害を第一義的に最優先する一部国家支配上層の意思によって巨大で強力な国軍を動員できるまさに戦争の元凶である民族国家(具体的には、政府・政権)の、「NATO東方拡大政策」を目指す欧米諸国家(具体的には、諸政府・政権)とそれに加担するウクライナ国家(具体的には、政府・政権、それ故に欧米のNATO東方拡大政策に加担するゼレンスキー大統領は欧米に対していつも強い姿勢で軍事支援を要請・要求している)当然にも民族国家としてその政策に反対し対抗するロシア国家(具体的には、政府・政権)の間の国家間戦争具体的には政府政権間戦争、ウクライナにおけるだけでなく世界中における大多数の被支配としての一般大衆が、その生や生活面において多大の被害を被っている。したがって、欧米諸国(具体的には、諸政府・政権)も・ウクライナ国家(具体的には、政府・政権)も・ロシア国家(具体的には、政府・政権)も・いつも米国(具体的には、政府・政権)に連なる金魚のフンの日本国家(具体的には、政府・政権)も全く以て<悪しき>国家(具体的には、政府・政権)なのである、それ故にそのいずれの国家(具体的には、政府・政権)にも賛同することはできないのである。いずれにしても危機的な政治的状況の中で、バルトは、「自らの責任を、福音主義的教会が支配的となってきた世界観的状況とイデオロギーに対して、聖書の福音を〔すなわち、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストの福音を〕、しっかりと保持しつづけるように協力する点に置いた」。第三の形態の神の言葉である教会に属するバルトは、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神だけでなく生来的な自然的なわれわれ人間もという、すなわち「人間が第一・そして次に神、神と実存、神と秩序、神と国家、神と民族、神と異なる神々〔自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって恣意的独断的に対象化され客体化された人間自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」としての神々〕という設定の仕方の非情な危険を嗅ぎ分けた」。したがって、バルトは、「第三帝国が始まったばかりの時期に、『神学の公理としての第一戒』の講演で、キリスト教界に対して、究極的にはあらゆる「『自然神学と訣別して〔そのためには、「『自然』神学」の問題を明確に提起する必要がある――「問題の定式化〔問題を明確に提起すること〕は、その問題の解決である」(マルクス『ユダヤ人問題によせて』)〕、‥‥‥〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている〕イエスキリストにおいて自らを啓示する神にのみたよる……べきである〔キリストにあっての神としての神にのみたよるべきである〕』と呼びかけた」。「反ナチ官吏の弾圧法である『職業官吏階級の再建法』によって、おおくの教授たちが、次々に罷免されたり、左遷されたりした」。

19333「社会民主党はそうした該当者に対して、社会民主党員であることのためにその官吏資格を犠牲にする必要はない〔「内面的だけの党員でいい」〕という通達・勧告を出した。〔「『自然』神学」の系譜に属する〕パウル・ティリッヒは、その通達・勧告に対して、個人的に承認した」が、「『<非>自然』な神学」への歩みを進める「バルトは、たとえ罷免されたり、左遷されたりしようとも、断乎として拒否し、今こそまさに公然と党員であることに固執すべきだとした」。

19336、「社会民主党は完全に禁止され、解党した」。同月、バルトの影響下で、「第三帝国下の教会に対する(改革派教会からの)最初の警告であるデュッセルドルフ十四か条テーゼが制定された」が、その「第一テーゼは今日の〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉であるべき〕キリスト教会はその唯一の主はキリストであり神の言葉によって生まれ神の言葉にとどまり他の者の声に耳を傾けることはない」というものであった。同月から7にかけて、「教会とナチ国家との統制化要求を掲げたドイツ・キリスト者信仰運動の強力な増大と扇動活動の中で、論文『今日の神学的実存』が書かれた」。この『今日の神学的実存』については、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その1)」の6を参照されたし。

 1933年夏、「ドイツの教会は……ナチズムの成功とその理念のもつ催眠術的な力〔無意識の共同性の力〕によって、その教理と制度に関して、いわゆる〔「ヒトラーに大々的に支持された」〕ドイツ・キリスト者の支配下に陥っていった」。そうした帝国教会共同性において、「プロイセンの教会総会は牧師職と教会行政職の法的地位に関する教会法を採択したが、そこには『わざわいなるアーリア条項』が含まれていて、……非アーリア人種と、非アーリア人と結婚した者とは、もはや教会関係の職につけなくなってしまった」。佐藤優の『はじめての宗教論』高等教育を受けた者と受けなかった者とに分けて信仰・神学の差異性を語るその思惟と語りは、天皇制的な意識構造に繫がるものである。ここで、天皇制的な意識構造とは、吉本隆明の『共同幻想論』によれば、次のことを意味する――支配の側(天皇族)の占有する外来の文明や文化(大陸の農耕技術等、律令・儒教・仏教等の制度や知識)が、大多数の被支配の側から遠く隔絶されていればいるほど、被支配の関係意識において、その支配の側(天皇族)は、強力に「願望の対象でありながら、恐れの対象であるという両価性の心性〔「未開の心性」〕を持つことになる」。そして、「そこには、その両価性の心性〔「未開の心性」〕に基づく<制度>的な禁制〔「共同幻想」〕が存在することになる」。すなわち、支配の側(天皇族)は、外来の文明や文化の占有による格差の関係性に基づいて権力の構成を行ったのである。そしてその関係性において、大多数の被支配は、複雑に重層化され隔絶された天皇制的な諸観念(「最下層の共同幻想である自然規定、風俗・習慣、心性、文化等を包摂した天皇制的な宗教、儀礼、法、制度等」)を、「自らが所有してきたそれ以上のものとして共同的に錯覚する」ことにおいて無意識のうちに支配に取り込まれていくことになった。その場合、第一義性・価値性は、現実的な社会における具体的な諸個人や性・対(個体の対幻想・対観念・対意識としての対の共同性である家族)にではなく、観念の共同性(共同幻想)にあるように転倒された。このように、「水平的な概念」である共同幻想としての国家は、「垂直的な概念」である支配――被支配の関係に転化されて国家<権力>となる。この「未開の心性」は、いまだに日本の現存する教会共同性にも残存しているのである――関田寛雄は、『「断片」の神学――実践神学の諸問題』で、「後任牧師の選任基準を、外国留学〔おそらく<欧米>留学を意味しているに違ない〕と学位〔大学院修了〕においている教会があることを批判している」のであるが、この「後任牧師の選任基準」における意識構造も、佐藤の高等教育を受けた者と受けなかった者とに分けて信仰と神学を思惟し語る意識構造も、まさしく未開心性として天皇制的な意識構造に通底しているものである。バルトは、『啓示・教会・神学』で、次のように述べている――第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているイエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)に基づいて、それ故に起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」に基づいて、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である「教会は、人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語りゆえに聞き、神が人間に語り給うことを聞くというこの一事によって〔それ故に、具体的には聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で〕基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ〔すなわち、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動が起こるところ、換言すれば「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、神のその都度の自由な恵みの神的決断による「啓示と信仰の出来事」が起こるところ〕、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、したがって、そうでない時には、「どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」、すなわちただ制度的にだけ外面的にだけ教会的な集団(宗教集団)、そのような教会的な集団(宗教集団)は、それが既存のそれであれ、新興宗教のそれであれ、政治性の強いそれであれ、反共的なそれであれ、一般的なただ「単なる<知識的な>集団」の一つであることができるだけである。

193310、バルトは、「『時の間に』誌から訣別した」。何故ならば、そこには、「当初からナチズムに加担していたドイツ・キリスト者のゴーガルテンの〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての〕神と異なる神々〔自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって恣意的独断的に対象化され客体化された人間自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」としての神々〕」、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神だけでなく人間自身が疎外(外化)した観念の共同性を本質とする「ドイツの民族法もという、まさしく『自然』神学的なそれであり、『自然』神学そのものであり、その『自然』神学に基づく新プロテスタント主義〔近代主義的プロテスタント主義的キリスト教〕の本質的部分の、究極の、最も完成された、最悪の再現以外の何物をも、まさにそれ以外の何物をも見出すことができなくなった」からである。193310そういう時代と現実の中で、「トゥルナイゼンは、バルトと歩みを共にした」。バルトとトゥルナイゼンは、「『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる)を刊行した」。バルトは、「『決断としての宗教改革』の講演を行っている」――そこで、バルトは、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉である「教会は、〔聖書の中で証しされている起源的な第一の形態の神の言葉である〕イエスキリストをのみ根拠原理原動力とすべきであって」、「『自然』神学」の<段階>で停滞して聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神だけでなく生来的な自然的なわれわれ人間も、生来的な自然的なわれわれ人間の観念の共同性を本質とする「民族」もという、換言すれば福音だけでなく民族もという(「福音<と>民族」)を根拠・原理・原動力とすべきではないから、この後者の「在り方を糾弾することを決断すべきである」と述べている。したがって、バルトは、『自然』神学」の<段階>で停滞し、ナチズムに加担するそうした教会の「『自然』神学」「<運動>に対して、無制限に、喜びに満ちて抵抗せよ、彼らの槍を撃て! その槍は空洞だからと呼びかけた」。「『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる)」は、その「編集活動が禁止される193610まで続いた」。

 

19344以降、「『福音主義神学』という雑誌も刊行された」。193312に、「御自身がユダヤ人であり、異邦人とユダヤ人のために死に給うたイエス・キリストを信じる信仰〔詳しく言えば、「神人協力」における<直接的な>イエス・キリストを信じる信仰ではなくて、徹頭徹尾神の側の真実としてのみある、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」(「イエス・キリスト<が>信ずる信仰」)による「律法の成就」・「律法の完成」、「神の義、神の子の義、神自身の義」、成就され完了された個体自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済、この包括的な救済概念と同一である平和――この<媒介的な>イエス・キリストを信じる信仰〕をもちながら、今や確実に日程にのぼっているユダヤ人の侮蔑と迫害に、簡単に協力することはできない、という説教を行った」。1933年の終わりに、「ドイツ・キリスト者による教会の異質化に対する抵抗」――すなわち、「組織的・教会的な規模での抵抗が行われ始めてきた」。それは、先ず「マルティン・ニーメラーの指導の下での牧師緊急同盟であり、それからさらに広い基礎の上に告白教会が設立された」。この「ドイツ告白教会の戦いは、ナチズムそのものに対するものではなかった」。「将来においても教会でありつづけるかどうかという問題をめぐったもので扱い方が狭いものであったが、バルトは、差し当たりは、……この線上のみで活動した」。

1934年初め、「告白教会の形成と確立にとって重要な改革派教会大会が行われた」。この「大会の『中心議題』は、バルトによって起草された今日のドイツ福音主義教会における宗教改革信仰告白の正しい理解に関する宣言の取り扱いにあった」。「この宣言の採択と共に、改革派連盟所属とドイツ・キリスト者所属とは両立しえないとの決議が行われた」。バルトの宣言の一つの主要なテーゼ、「今日の『本当の問題』」は、「聖餐式の問題」にあるのではなく、教会闘争における教会の抵抗のあらゆる可能性の根拠原理原動力である第一戒の問題の死守にあった言い換えればそれは、「『自然』神学」の<段階>において神人協力により神の意志とわれわれの願いが一つになってしまうような〔一般的啓示としての〕自然啓示……が存在すると主張する「『自然神学つまり〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示としての〕神の啓示と並んで……〔第三の形態の神の言葉である全く人間的な〕教会の使信と形態に関する人間の……自主的決定権がありうるとする」「『自然神学に対する抵抗にあった

19344、バルトは、「パリのプロテスタント神学部において、彼の教義学の主要思想を総括する概観としての『啓示・教会・神学』という三概念について三回の連続講義を行った」。

 19345「ドイツ福音主義教会第1回告白会議において、ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学宣言バルメン宣言)が採択されたこの宣言の原理〔バルトだけがそのことに対して自覚的であったかもしれない宣言の原理〕」、すべての「『自然』神学」を根本的に原理的に包括し止揚し克服することができるところの、第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求める神への愛(「教えの純粋さを問う」<教会>教義学の問題、<福音主義的な>教義学)そのような神への愛を根拠とした神の讃美としての隣人愛(区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関と循環において起源的な第一の形態の神の言葉であるただイエスキリストをだけ主頭とするイエスキリストの活けるヒトツノ聖ナル公同ノ教会共同性を目指して行くという点にある「誰が、何がそもそも世界と教会を支配しているのか、われわれは誰に耳を傾けなければならないのか、誰を信じ、誰に服従しなければならないのか」――それは、われわれを結合するものは一にして聖なる公同の使徒的教会のただひとりの主であるただイエスキリストだけである」――この主に対する信仰告白である」。「バルトにとってこのバルメン宣言の重要性この本文は福音主義教会がその信仰告白という形で「『自然神学の問題と対決した出来事の初めての記録であるという点にあった。このことについても、ただバルトだけがそのことについて真剣に認識し自覚していたに違いない。明らかなことは、バルト主義者も、反バルト主義者も、中立バルト主義者も、折衷バルト主義者も、何々バルト主義者も、そのことについて全く以て真剣に認識し自覚していなかったに違いない。ただバルトは、後に、「草案にユダヤ人問題をも組み込まなかったことは、『重大な失敗』だと考えるようになった」。

 1934年の夏、「ブルンナーは、『自然と恩寵』という論文で、正しい「『自然』神学」の復帰こそが〔西欧近代(近代主義)を骨肉にまで受け入れた〕現代の神学世代の課題である」と主張した。ここで、ブルンナーが目指している「正しい『自然』神学」とは、『教会教義学 神の言葉』に依拠して言えば、「理性的思惟の絶対化、理性万能の妄想と理性の孤立の中で」、「神的汝をあこがれ求めている理性を解放する」それのことであるが、それ故にそれは、「神的汝をあこがれ求めている」「自信過剰」の半減された人間の「近代的精神」のことであり、その人間の「近代的精神」によって新たな「神との共働者」関係を構築して行くところのそれである。ブルンナーのそれは、まさに第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の「特別啓示」だけでなく、生来的な自然的なわれわれ人間も、生来的な自然的なわれわれ人間のその「近代的精神」も、その「近代的精神」による思惟と語りも、その「近代的精神」によって対象化され客体化された人間の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」、「存在者レベルでの神の啓示」(「自然啓示」)、「存在者レベルでの神への信仰」もという「『自然』神学」の構築を目指して行くものである。このブルンナーの「正しい『自然』神学」が、「存在ノ類比」に依拠する「ローマ・カトリック主義と同じ危険に陥っているということを見抜いたバルトは、直ちに反応して、『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』を書いた」。何故ならば、「中世スコラ神学が『キリスト啓示』とならぶ『自然啓示』を認める『自然』神学を立てたことが、中世末期の人間の行為(業)による義認の考え方に道を開いた」し、「宗教改革者たちは、この業による義認を批判攻撃したが、その神学的根底にある『自然』神学の批判にまで至らなかった」からである、「宗教改革者のこの非徹底性が、ルター派的二元論を支え〔この二元論は、<ただの人間>「ルターの翻訳の絶対化」(その「無謬性」)による、ローマ322およびガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」の属格の<目的格的>属格(「イエス・キリスト<を>信じる信仰)理解を根拠としている〕、ドイツ・キリスト者の民族の神、『非ユダヤ的英雄』イエスの信仰の登場を可能とした」からである、ブルンナーのように第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている「キリストの啓示の外に〔生来的な自然的な〕人間の理性に『神と人間の結合点』としての役割を与えることは、『200年以上にわたって教会の荒廃を準備してきた』あの誤りを再びくりかえすことになる」からである。なお、「『自然』神学」の系譜に属するブルンナーについては、Jimdofreeホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その3)」の7を参照されたし。第三の形態の神の言葉である「教会の宣教は〔生来的な自然的な〕人間の側に『結合点』を求めなくてはならず、また『結合点』を前提しうるというブルンナーの理論を、バルトは全面的に否定した」。何故ならば、「父と子ヨリ来たり、それ故神として啓示され、信じられる聖霊は、聖霊みずからが設定するもの以外のいかなる結合点も必要としない」からである、ちょうどイエス・キリストにおける「啓示自身が啓示に固有な自己証明能力」(『教会教義学 神の言葉』)の<総体的構造>(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)を持っているように、起源的な第一の形態の神の言葉自身がその言葉自身の出来事の自己運動を持っているように。バルトは、「監督制・参事会制がもつ権威主義的・合法主義的感覚と傾向と、〔観念的威力として残存し続ける自然神学の伝統的根強さに基づく〕ドイツ民族主義者たちのもつ意識が、プロテスタント教会の抵抗運動の完全な展開を妨げた」、と述べている。

 1934117、バルトは、「彼に要求された総統に対する、規定通りの形による忠誠宣誓8月に国家元首に関する法律により首相と大統領の両職務が統合された時から、全公務員に義務づけられた忠誠宣誓、〔教会闘争における教会の抵抗のあらゆる可能性の根拠・原理・原動力である「第一戒の死守を目指す福音的キリスト者としての責任を負い得ないものとして拒否した」。そのために、バルトは、「大学教授という職業が要求する尊敬と名望と信頼を受けるに値しない者として、突然……停職処分を受け、講義中止命令を受けた」。そのことに対する「学生たちの抗議も、バルトのボンの領邦裁判所への訴えも斥けられ、彼は罷免された」。また、バルトは、「告発され、(中略)有罪判決を受けた」。バルトは、福音的キリスト者として、「その裁判で、次のように釈明した」――現実的な社会に第一義性・価値性を置くのではなく、その現実的な社会の中で具体的に生き生活している諸個人に第一義性・価値性を置くのではなく、観念の共同性を本質とする国家に第一義性・価値性を置く国家主義における、信教の自由が保障された政教分離の自由主義国家や社会主義国家であれ、どのような国家形態であれ、人間の観念の共同性を本質とする「国家は、〔第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉に属する〕教会を承認することによって国家として自己に措定された限界>を、国家自身のために肯定しなければならない。そして、国家公務員としての神学教授はこの<限界>を守るために国家自身によって任命された見張番である」、それ故に「全体主義的独裁制を容認することは、ヒトラーを受肉した神とすることになり、<第一戒>に対する最も重大な違反を犯すことになる」、と。バルトに対して、「最終的に、ケルンにおける審問を経て、職務罷免処分が決定された」。「その後、バルトに対して、全面的な講演停止が……通達され、彼の活動は……個人的な話し合いや討論に限られることになった」。そうした中で、バルトは、「オランダのユトレヒト大学において、『使徒信条に従って論述された教義学の主要問題』について講義し、それを『我信ず』という表題で出版した」。この書も、第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」に基づいて、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする自らの立場において、すべての「『自然』神学」を根本的包括的に原理的に止揚し克服して行くことを目指したものである――「キリスト教の信仰は……〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての〕神が、そして神のみが対象であるかどうかによって、立ちもし、倒れもする」、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」から、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて「『イエス・キリストを<認識する>こと〔イエス・キリストを<信仰する>こと〕』が『創造を信じる信仰の起源』となる」。そうした状況下においても、バルトは、「大学教授以外の場所であっても神学教師としてドイツにとどまりたいと願っていた。しかし、『最終的な、責任ある形での招聘』はどこからも来なかった。それどころか、告白教会そのものの戦列からも、〔バルトに対する〕嫌悪感や反感が、ある人たちは彼の神学に対して、ある人たちは彼の政治姿勢に対して、またある人たちは彼の個人的要素に対して湧き起こるのが〔バルトには〕感じられるようになった」

 

 19356、「バルトの不参加と招聘取り消しを条件に、アウクスブルクで第三回信仰告白教会会議が開催されたが、バルトは、そこでの宗教知識は、教会共同性内部に閉じられて行く、党派主義的知識でしかない、と批判した」。また、バルトは、「ベルリンにおける上告審判決で、ケルン裁判所の判決は破棄され、罰金刑だけに処せれた。そして、公務員職務再建法第6条によって、退職処分となった。その直後に、バーゼル市政府閣僚からバーゼル大学の員外教授のポストへの招聘があって受け入れた。ただ、スイスの国土防衛を積極的に支持するという条件がついていたが、当時の状況下では〔自由および直接民主制と武装永世中立の緩衝国的主権国家としてのスイスは<相対的に>評価し得たことから〕喜んで受け入れられるものであった」。したがって、バルトは、時代と現実から不可避的に強いられて、<相対的に>評価し得る「スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加し、両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛するために、もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」と述べている(『バルトとの対話』)。また、バルトは、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とする第三の形態の神の言葉であるべき「諸教会の多様性〔多元主義、多元主義的党派性〕は、豊かさではなく、危機であり、罪であるから、この多様性の克服は、〔人間は本来的に不信仰であり、ちょうどそれが欧米のそれであれ反欧米のそれであれ戦争の元凶である民族国家が先ず以て自国の利害を第一義的に最優先するように、人間は理性的だけ生きているだけでなく、利害等によっても左右されるから、エキュメニズム等による〕相互の寛容によって達成されるのでも、またそもそも『造り出されるのでもなく、むしろイエスキリストにおいてすでに実現された教会の一致に対する従順の中にのみ見出されまた承認されるのである』」と述べている(Ⅰコリント310-11、エフェソ214以下)。したがって、学業的な「単なる知識」としてのエキュメニズムは、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところ」「すべての大学社会〔それに類する共同性〕の神学」(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)においてだけ空想し幻想することができるそれである。

 さて、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準とした第三の形態の神の言葉である教会の宣教(<説教>と聖礼典)の水準も獲得しており、またその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての<神学>の水準も獲得している『福音と律法』の翻訳者の井上良雄は、この書について、「決して平易とは言い得ない」が、「しかし、この難解さは、ここに論じられている事柄そのものの重さとこれを論じるバルトの洞察の深さから来ている。この難解さに堪えて読まれる方には、それに報いて余りある喜びが分かたれるに違いない」と述べているにも拘らず、ブッシュは、バルトのこの成熟の書としての『福音と律法』について、バルトが「律法と福音という伝統的順序を福音と律法という順序に正立させる」ことで、「ルターに対する、ルター主義に対する重要な訂正を求めた」とだけしか述べていない。これでは、この成熟の書としての『福音と律法』について、何も言わないのと同じである。

193510この『福音と律法』の講演は、「自ら話す許可が得られず、国家警察の立ち会いのもとイムマー牧師に朗読させた、バルメンで行われた」が、その「講演の内容から、ドイツのキリスト者は、それはバルトの彼らに対する<訣別の辞>として受けとった」。この成熟の書としての『福音と律法』については、Jimdofree「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その2)」の<2>」および「9.『福音と律法』および『神の恵みの選び』について」を参照されたし。

 バーゼル大学の哲学科には弟のハインリッヒがいたが、カール・バルトとは「正反対に対立し、理解しあえなかった」。ハインリッヒは、「カールに対して、彼もまた〔人間的な〕限界をもっているのだということを、一度はっきりと言ってやらなければならないような人間だと考えていた」。バルト主義者でも反バルト主義者でも中立主義者でもないバルト者の私は、ハインリッヒの方に客観的な正当性と妥当性があると言うことはできないと考える。何故ならば、ハインリッヒは、「カールはいかなる矛盾にも耐えることができない人間とか、限界の自覚がない」と述べているのであるが、それは違うので、ハインリッヒのその指摘とは全く逆なところで、すなわちバルト自身は、<ただの人間>である自分の「限界の自覚」を十二分になし得たところで、存在し思考し実践していることは、バルトの『ローマ書』、『福音主義神学入門』、『福音と律法』、『教会教義学 神の言葉』等の主要な諸著作を素直に読み理解しさえすれば明らかなことであるからである――それが人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、それ故に<ただの人間>であるバルト自身は、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の下にある(『ローマ書』)ということを認識し自覚している、「『もちろん福音をわたしは聞く、だがわたくしには信仰が欠けているその通り――一体信仰が欠けていない人があるであろうか。一体誰が信じることができるであろうか。自分は信仰を『持っている』、自分には信仰は欠けていない。自分は信じることが『できる』と主張しようとするなら、その人が信じていないことは確かであろう。(中略)信じる者は、自分が――つまり〔生来的な自然的な人間の〕自分の理性や力〔感性力、悟性力、意志力、想像力、自然を内面の原理とする禅的修行等々〕によっては』――全く信じることができないことを知っており、それを告白する。聖霊によって召され、光を受け、それゆえ自分で自分を理解せず(中略)頭をもたげて来る不信仰に直面しつつ(中略)『わたくしは信じる』とかれが言うのは、『主よ、わたくしの不信仰をお助け下さい』という願い〔「祈りの態度」〕の中でのみ〔マルコ九・二四〕、その願いと共にのみであろう」(『福音主義神学入門』)ということを認識し自覚している、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神として「神は、神なき者がその状態から立ち返って生きるために、ただそのためにのみ彼の死を欲し給うのである……しかし誰がこのような答えを聞くであろうか。……承認するであろうか。……誰がこのような答えに屈服するであろうか。われわれのうち誰一人として、そのようなことはしない! 神の恩寵は、ここですでに、恩寵に対するわれわれの憎悪に出会う。……」ということを認識し自覚している、「人間の人間的存在が〔生来的な自然的な〕われわれの人間的存在である限りは、われわれは一切の人間的存在の終極として、老衰・病院・戦場・墓場・腐敗ないし塵灰以外には、何も眼前に見ない」、換言すれば「貧民窟、牢獄、養老院、精神病院」、「希望のない一切の墓場の上での個人的な問題……特殊な内的外的窮迫、困難、悲惨」、「現在の世界のすがたの謎と厳しさに悩んでいる」、「闇のこの世」(『福音と律法』)ということを認識し自覚している、神に敵対し神に服従しないわれわれ人間は、肉であって、それゆえ神ではなく、そのままでは神に接するための器官や能力を持ってはいない」(『教会教義学 神の言葉』)ということを認識し自覚している、もっと言えば人間はただ理性的にだけ生きているのではなく、愛憎の情念の世界も、嫉妬の世界も、いじめの世界も、喜怒哀楽の感情の世界も、誤解と誤謬と曲解の世界も生きているということを認識し自覚している、人間存在の総体性についても認識し自覚している。そのような同僚たちの中でバルトと全面的に親密な関係を保ちつづけたのは実践神学の科目と説教学を委任されていたエドゥアルトトゥルナイゼンだけであった。しかし、そのトゥルナイゼンも、「バルトの一九二一年以来の……道程、すなわち教会教義学の問題への集中と、ドイツ教会闘争において得られた認識に対してあまりにも素知らぬ態度をとってはいた」が、彼らは共同編集の説教集大いなる憐れみを出版したそれは教会におけるテクスト説教すなわち〔説教者自身の嗜好に基づいた恣意的独断的な〕時事問題を主題とはしない〔「聖書への絶対的信頼に基づく〕「『聖書釈義』」を本質とする説教「<聖書講解説教〕(『説教の本質と実際』)の実例であり傍証であった〔『福音と律法』は、まさにその水準を獲得した説教である当時に神学でもある書であり、神学であると同時に説教でもある書である〕」。「説教者は、説教として語る場合、聖霊が(あるいは別の霊であっても)言葉を吹きこむこととか、あるいは一つの構想を持っていることなどあてにしてはならない、説教は語ることであるが、……一語一語準備し、書き記しておいたもののことである」(『説教の本質と実際』)。したがって、東京神学大学の実践神学者の小泉健が、「R・ボーレンの説教学の教会論的基礎づけ」(Web上の資料)で、R・ボーレンが対象化し客体化したに過ぎない彼自身の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」の「神律的相互関係」の概念に依拠して、恣意的独断的に「聖霊が説教者に言葉を与え、語ることへと導く。説教者は聖霊の言葉を伝え、聖霊の言葉に導く」と書いた時、その時まさに小泉は、全く以て「『自然』神学」の問題を認識し自覚しないまま、それ故に「『自然』神学」の問題を明確に提起しないまま、それ故にまたまさに「『自然』神学」の<段階>で停滞したまま書いているのである。それに対して、第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」に基づいて、聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、「『自然』神学」の問題を明確に提起したバルトは、「『<非>自然』な神学」の<段階>において、『教義学要綱』で、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持して、次のように述べている――「聖霊は、人間精神と同一ではない。人間が聖霊を受けることを許され、持つことを許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間の一形姿であるなどという誤解が生じてはならない」、聖霊によって更新された人間の理性性も徹頭徹尾聖霊と同一ではない、と。また、バルトは、『教会教義学 神の言葉』では、次のように述べている――第三の形態の神の言葉である教会の宣教およびその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学における思惟と語りが、「キリスト教的語りの正しい内容として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神ご自身の決定事項であって、われわれ人間の決定事項ではないのである」、それ故にそれは、「『主よ、私は信じます。私の不信仰を助けて下さい』というこの人間的態度〔「祈りの態度」〕に対し神が応じて下

さる〔「祈りの聞き届け」〕ということに基づいて成立しているのである」。(文責:豊田忠義)