3.「『<非>自然』な神学」の完成の書としての『教会教義学』への道程

 

マルクスは、ただ単なる学者・知識人・著述家としてではなく、革命の<過渡的>問題と<究極的>問題を明確に提起した<思想家>として、「問題の定式化、問題を明確に提起することは、その問題の解決である」と述べている(『ユダヤ人問題によせて』)。また、吉本隆明は、ただ単なる学者・知識人・著述家としてではなく、<信>と<不信>を架橋する問題を明確に提起した<思想家>として、「ぼくは、キリスト教なんかもうやめた方がいいぞ、なんてあまりいいたくないのです。そうではなくて、……地獄は地獄で洗う……観念は観念で洗う、自らの普遍性の地獄で洗うという試みの中から、理論的な問題、組織的な問題あるいは実践的な問題というのを把えてゆかなければ足をすくわれる」と述べている(『信の構造3――吉本隆明全天皇制・宗教論集』「国家と宗教のあいだ」)。

さて、バルトは、教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学領域において、第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に基づいた「『<非>自然』な神学」の立場において、神学的領域および人間学的領域におけるすべての「『自然』神学」の問題を明確に提起した<思想家>として、第三の形態の神の言葉である「教会に宣教を義務づけている」「聖書は先ず第一義的に優位に立つ原理〔・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」〕としての〔起源的な第一の形態の神の言葉である〕イエスキリストと共に、〔第三の形態の神の言葉である〕教会の宣教〔およびその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学〕における原理〔・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」〕である」(Ⅰ・コリント310-11、エフェソ214以下)と述べている。詳しく言えば、第二の形態の神の言葉である「聖書、イエス・キリスト自身によって直接的に唯一回的特別に召され任命されたその人間性と共に神性を賦与され装備された「預言者および使徒たちのイエス・キリストについての言葉、証言、宣教、説教」として、起源的な第一の形態の神の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>)である「イエスキリストと共に」、「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストのまことの神性」――すなわち「権威」<>「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストのまことの人間性」――すなわち「自由によって賦与され装備された権威と自由を持つところの第二の形態の神の言葉」(換言すれば、「啓示との<間接的>同一性〔啓示との区別を包括した同一性〕」において存在している「最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」)であり、第三の形態の神の言葉である「教会に宣教を義務づけている」第二の形態の神の言葉として、第三の形態の神の言葉であるイエスキリストをのみ主頭とするイエスキリストの活けるヒトツノ聖ナル公同ノ教会共同性を目指すところの、それぞれの時代、それぞれの世紀、その時代と現実に強いられた教会(すべての成員)の宣教およびその一つの補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学の思惟と語りにおける原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準である。したがって、「聖書こそが、教会を支配するのであって、教会が、聖書を支配してはならないのである」。この「イエス・キリストとの出会いの直接性における直接的、絶対的、内容的な権威と自由」――すなわち、「イエスの弟子たちがキリストの後に従う随従〔すなわち、イエス・キリストの弟子たちが先行するキリストに後続する追従〕」、「直接的な唯一回的特別なそれである」、それ故に「繰り返され得ないものである」。このように、第二の形態の神の言葉である「預言者および使徒たち」<>起源的な第一の形態の神の言葉である「主なるイエス・キリストとの関係」は、「啓示そのものが一回的であるのと同じように一回的な関係である」。したがって、そうした第二の形態の神の言葉である「預言者および使徒たちの現実存在」<>第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とする第三の形態の神の言葉である「教会・そのすべての成員の現実存在とは、本質的に同一ではないのである」。したがってまた、「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)からして、第三の形態の神の言葉である教会(すべての成員)起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身に、具体的には第二の形態の神の言葉である聖書に先行させることはできないのである」。このような訳で、第三の形態の神の言葉である教会(すべての成員)、第二の形態の神の言葉である聖書を媒介・反復することなしに、聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とすることなし、すなわち終末論的限界の下でのその途上性で絶えず繰り返し聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求めることなしに、無媒介的に>、<直接的に起源的な第一の形態の神の言葉であるイエスキリストと出会い関わることはできないのである。したがって、第三の形態の神の言葉である教会における権威と自由」は、あくまでも「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストのまことの神性」――すなわち「権威」<と>「直接的な、絶対的な、内容的なイエス・キリストのまことの人間性」――すなわち「自由」とによって「賦与され装備された権威と自由を持っている聖書の権威と自由に基礎づけられているところの間接的・相対的・形式的な権威〔すなわち、「神的権威によって限界づけられた」、あくまでも「人間的な教育的権威」〕と自由〔すなわち、「神的自由によって限界づけられた」、あくまでも人間的な自由、すなわち聖書に対する「他律的服従」とそのことへの決断と態度という「自律的服従」との全体性における「人間的な自由」〕として、徹頭徹尾、限界づけられているのである」。

 

バルトは、「聖書への絶対的信頼」に基づいて、「聖書」を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」として、第三の形態の神の言葉である教会の宣教およびその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学に巣食うすべての「『自然』神学」の「問題を明確に提起する」ことによって、すべての「『自然』神学」を根本的包括的に原理的に止揚し克服して行く道を、最後の最後まで「倦み疲れてはならない」(『カール・バルトの生涯』)と自分自身に言い聞かせながら歩んだのであるこのバルトの道程の証左は先ず以ては「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を明確化したバルトの真の処女作ローマ書』(二版)であり、「『自然』神学」の<段階>における思惟と語りを温存させていたルターを否定的に媒介したルートヴィッヒフォイエルバッハ』であり、そのルターの思惟と語りを根本的に原理的に包括し止揚し克服した成熟の書としての福音と律法』であり、「教義学的な合理主義を明確に否定し」、イエスキリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力総体的構造を明らかにしたアンセルムス研究、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』であり、徹頭徹尾神の側の真実としてのみあるイエスキリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」、起源的な第一の形態の神の言葉自身が持っているその言葉自身の出来事の自己運動三位一体の唯一の啓示の類比としての神の第二の存在の仕方における神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的に存在している起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする神の言葉の三形態の関係と構造秩序性を明確に提起した教会教義学 神の言葉』である。それらすべては、「『<非>自然』な神学」の<段階>における思惟と語りにおいて著わされている。したがって、『教会教義学 神の言葉』に続いて著わされた『教会教義学 神論』も、「『<非>自然』な神学」の<段階>における思惟と語りにおいて、次のように述べている――徹頭徹尾神の側の真実としてのみある、それ故に「成就と執行、永遠的実在としてある」、「先行する神の用意」に包摂された「後続する人間の用意」ができているところの、「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」(神の側からする神の人間との架橋)であり、「神との間の平和」(ローマ五・一)であり、それ故に神の認識可能性である、「自己自身である神」としての自己還帰する対自的であって対他的な(それ故に、完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において存在している(それ故に、ここにおいては、われわれは神の不把握性の下にある)「父なる名の<内>三位一体的特殊性」・「神の<内>三位一体的父の名」・「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」(それ故に、「三神」・「三つの対象」・「三つの神的我」・「三重のわれ、三重の主体」ではない)の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、すなわち父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>)における第二の存在の仕方(子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事)、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>」)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(第二の存在の仕方における言葉の「受肉」、「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」)――このイエスキリストにおいて、「神の用意の中に含まれて、〔それが、人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、われわれ〕人間にとって神に向かってのしたがって神認識〔信仰の認識としての神認識、啓示認識(啓示信仰)、人間的主観に実現された神の恵みの出来事〕に向かっての人間の用意が存在する」、すなわち先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という人間の局面は全くただキリスト論的局面だけである」。もっと言えば、バルメン宣言の総括的内容は、時代と現実から強いられたところでの、まさにすべての「『自然』神学」との戦いの過程における「『自然神学との戦いであったという点にある。バルトは、次のように述べている――19345月、「ドイツ福音主義教会第1回告白会議において、ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学宣言(バルメン宣言)が採択された」、この宣言の原理は〔バルトだけがそのことに対して認識し自覚的であったに違いない宣言の原理は〕」、すべての「『自然』神学」を根本的に原理的に包括し止揚し克服することができるところの、第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者・標準として、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神キリストの福音を尋ね求める神への愛」(「教えの純粋さを問う」<教会教義学の問題、<福音主義的な>教義学)<そのような神への愛を根拠とした神の讃美としての隣人愛」(区別を包括した単一性において、<教会教義学に包括された正しい行為を問う特別的な神学的倫理学の問題、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関と循環において、起源的な第一の形態の神の言葉であるただイエスキリストをだけ主頭とするイエスキリストの活けるヒトツノ聖ナル公同ノ教会共同性を目指して行くという点にある。「誰が何がそもそも世界と教会を支配しているのか、われわれは誰に耳を傾けなければならないのか、誰を信じ、誰に服従しなければならないのか」――それは、「われわれを結合するものは、一にして、聖なる、公同の、使徒的教会のただひとりの主であるただイエスキリストだけである」、この「主に対する信仰告白である」、「バルトにとってこのバルメン宣言の重要性この本文は福音主義教会がその信仰告白という形で「『自然神学の問題と対決した出来事の初めての記録であるという点にあった」。このことについても、ただバルトだけがそのことについて真剣に認識し自覚していたに違いない。明らかなことは、バルト主義者も、反バルト主義者も、中立バルト主義者も、折衷バルト主義者も、何々バルト主義者も、そのことについて全く以て真剣に認識し自覚していなかったに違いない、ただバルトは、後に、「草案にユダヤ人問題をも組み込まなかったことは、『重大な失敗』だと考えるようになった」(『カール・バルトの生涯』)。

 

なお、アンセルムスについては、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「10.『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』について」(その4)の「<バルトの総括>」を、ルターについては、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について(その2)」および「9.『福音と律法』および『神の恵みの選び』について」を、自然神学については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学について」(その2)および(その3)を参照されたし

 

教会闘争の継続

 バルトにとって、「ナチスのほんとうの害悪は、<第一戒>に対するナチスの組織的蹂躙にあったし、そのことに対する他の諸国民の無関心さにあった」(このような「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制は、遠い昔から」、現実的な社会の中で具体的に生き生活する大多数の被支配としての個体的自己としての人間を第一義・価値とするのではなく、観念の共同性を本質とする国家<共同性>に第一義性・価値性を置く<国家主義>において、「西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没していた」し、観念の共同性を本質とする国家<共同性>に第一義性・価値性を置く<国家主義>における社会主義国家においても出没していた――『バルト自伝』)。日本の問題に引き寄せて言えば、本来的に<第一義性・価値性>は<こちら側>、すなわち現実的な社会の中で具体的に生き生活している<主体>(人間の個としての個体)の側にあるにも拘らず、それが擬制民主主義としての議会制民主主義を媒介とした国家<共同性>であれ、<第一義性・価値性>が、それを疎外し外化した<第一義性・価値性>としての<こちら側>、すなわち現実的な社会の中で具体的に生き生活している<主体>(人間の個としての個体)の側から、いつも<向こう側>、すなわち観念の共同性を本質とする国家<共同性>の側に移行してしまうところで成立しているその「国家〔具体的には、政府・政権〕の政策〔法的言語、政策的言語〕知識人〔学問に関わる、政治に関わる、宗教に関わる知識人〕があらゆるこじつけを駆使して合理化しそれを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家を推進し、支配に直通していく大衆の存在様式からして〔すなわち「大衆の敗北の構造>」からして、そしてその「敗北の構造」は、知識世界を主として<観念的>日常を生きる知識人から生活世界を主として<生活的>日常を生きる生活者が、すべての知識人のすべての知識から<自立した>(対象的になって距離を取った)生活<思想>を持とうとすることをしないで、知識人の知識やメディアの情報を「そのまま鵜呑みにしたり模倣したりする」という点にあることからして(例えば、戦後50年以上が経過した18年位前でも、テレビのニュース映像から、横須賀市にある首相・小泉純一郎の家の近くまでわざわざ行って、車に乗った小泉に無視されながらも、小泉にさかんに手を振っていたおばさんの姿が流れていた)〕」、「自分たちを戦争へと駆り立て家族や親族や友人を死に追いやった国家支配上層に対して、徹底的な抗議や反抗をすることなく、むしろそうした権力を天然自然の災害と同じように受け入れていった大衆の存在様式からして〔すなわち「大衆の敗北の構造>」からして〕」(吉本隆明『思想の基準をめぐって』および『日本のナショナリズム』)、それらの事柄を知識人自らが認識し自覚でき得ていなかったところの、知識人自らがトータルな世界認識の方法を持ち得ていなかったところの、知識人自らが<自立した>思想を持ち得ていないところの、学問に関わる・政治に関わる・宗教に関わる知識人の存在様式、知識人の敗北の構造が問題である

このような時代と現実の中で、バルトは、「ナチス国家に対して反対〔抵抗〕しなければならなかった」。そのバルトの反対(抵抗)は、説教(言葉)と政治的実践(行為)を二元論的に分離し対立させて、声高に説教(言葉)だけでなく社会的政治的実践(行為)という仕方においてではなく、聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とした「かつて語った〔キリストの福音の〕説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとし)おのずから〔、自然に、必然的に、〕実践〔行為〕に、決断に、行動になって行く」という仕方におけるそれであった。こうしたバルトの告白教会そのものに対する批判は、次の点にある――それは、第一に、彼らは、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている〕イエスキリストにおける神をのみ神とするイエスキリストの教会としてまたイエスキリストをのみ主頭とするイエスキリストの教会として第一戒の告白が、ナチズム、全体主義国家の支配に対する単に一つの<宗教的な>決断、<教会>政治上の決断を意味するだけでなく、〔時代と現実から強いられたところの不可避的な〕事実上一つの政治的決断を意味するということを理解していなかった」という点にある、第二に、「彼らは、その宣教の自由と純粋性のために闘ったが、例えば〔大多数の被支配としての〕ユダヤ人に対してとられた処置……取り扱い……弾圧等については沈黙した」という点にある。こうした中で、バルト自身は、先の「神学的根拠第一戒の告白に基づいてナチス国家に対するキリスト者の直接的な政治的抵抗の必要性を認識し始めたし、事実ナチス国家に対する政治的抵抗も含む抵抗運動の方向へと前進した」。バルトは、「ドイツ教会の試練と苦悩を、プロテスタント改革派教会内に自覚的に生きるすべてのスイス人、スイスのプロテスタント主義に対する問いとして受けとめた」。このバルトは、あくまでも相対的評価において、自由および直接民主制と武装永世中立の緩衝国「スイスをナチズムからまもるために……軍隊に参加し、両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛するために、もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、射殺しなければならなかったであろう」と述べている(『バルトとの対話』)。こうしたバルトに対して、「スイスのナチ党員だけでなく、オックスフォード<グループ>運動〔「エミール・ブルンナーも、そのとりこになった」〕の参加者や宗教社会主義者たちは対抗した」。

 

『教会教義学2(「神の啓示<中>言葉の受肉」、「神の啓示<下>聖霊の注ぎ」、「聖書」、「教会の宣教」)の完成にむかって

 1936、講演『神の恵みの選び』において、バルトは、「神の恵みの選び、すなわち予定は、恵みの中にある恵みを意味している、しかし、恵みの中にある恵みは、恵みの中にある神の自由と支配である」と述べている。すなわち、「予定説」は、「イエス・キリストにある救いの自由な表現そのものである」。この『神の恵みの選び』については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「9.『福音と律法』および『神の恵みの選び』について」の「B.『神の恵みの選び』(『カール・バルト著作集3』)について」を参照されたし。

 

 1936年から37年の冬学期、バルトは、「バーゼル大学で、『神学の思考の根本形式』と題して学術講演を行った」。その内容は、「神学の思考の根本形式は、その研究対象からして、その思考が〔「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)に連帯し連続するという仕方で〕聖書的、批判的、実践的でなければならない」というものであった。何故ならば、その神学的な思惟と語りは、「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っているということであり、われわれ以前の人々によってなされた教義学的作業の成果は、根本的には……真理が来るということのしるしである」という点にあるからである。したがって、バルトは、聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」として、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求めた」(『啓示・教会・神学』)。

 

 19373月初め、「スコットランドのアバディーン大学で自然神学についての認識とその普及を求めるギフォード講演の第一部を依頼された」のであるが、近代主義(自由主義)神学に対してだけでなく、すべての『自然』神学に対して全面的に抗するバルトは、「『自分はあらゆる自然神学に反対する人も知る自然神学に対する敵対者であるという事実を明確に思い出してもらう手紙を書いた」。しかし、「講演依頼は取り消されることはなかった」ので、バルトは、「『<非>自然』な神学」の<段階>における思惟と語りにおいて、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の下で「神のみが神であることについて、また〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、〕キリスト啓示から出発して『神の栄光と人間の栄光』の相関性について語った」。バルトは、『教会教義学 神論』において、次のように述べている――聖書的啓示証言「Ⅰコリント二・八、ヤコブ二・一によれば、イエス・キリスト」は、「<栄光>〔聖、全能、永遠、力、善、あわれみ、義、遍在、知恵等〕の<主>であり給う」、「そのような方として、認識され承認されている」。しかし、「このことは、自明的ではない」。何故ならば、このことは、われわれ人間によって、「常に、主と栄光とを切り離して認識する切り離しの危険性に曝されている」からである。第一に、われわれ人間によって、キリストにあっての神としての神は、その<栄光>の全体性において認識されるのではなくて、「<主>として、点的にあるいは線的に見られ理解されるという危険性に曝されている」、換言すればキリストにあっての神としての神は、先行する「われわれ人間の定義に従って、過度に愛し、過度に自由な仕方で存在し、そのようなものとして……集約的な……また無限に狭い本質として、それ故にそのように定義された神が〔換言すれば、自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された人間の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」が〕、多種多様の動きを持った世を、特に人間を、相対して持つようになり、それとの関係の中で〔神は後続的に〕自分自身動きを受け取ることでもって初めて生きたものとなり、そこで初めてわれわれにとって、内容充実、具象性、明瞭性、それと共に実在性を得て来る本質として見られ理解されるという危険性に曝されている」。したがって、先行する「人間によって定義された神の神的対処の仕方は、神の性質の中に基礎づけられた本来的な〔完全に自由な先行する〕神的対処の仕方ではない」ところの「経綸」――すなわち、徹頭徹尾、存在的にも、認識的にも、内在的にも、外在的にも、「自己自身である神」としての「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中で三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質)における起源的な第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父――すなわち「啓示者」・言葉の語り手・創造者、父が子として自分を自分から区別したところの第二の存在の仕方である子としてのイエス・キリスト自身――すなわち「啓示」・語り手の言葉(起源的な第一の形態の神の言葉)・和解者、第三の存在の仕方である神的愛に基づく父と子の交わりとしての聖霊――「啓示されてあること」・「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)・救済者なる神の存在としての神の愛の行為の出来事<全体>における「本来的な〔完全に自由な先行する〕神的対処の仕方ではない」ところの「経綸」、換言すれば「われわれ人間自身の性質の中に基礎づけられている一種の神的対処の仕方」、自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された人間の意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」における「対策的な経綸」である。このように、「もしも神が栄光の主であり給わないならば」、またキリストにあっての神としての神がわれわれ人間の「言葉のすべての比喩的な性質にもかかわらず、何の留保もなしに事実いますというのでないならば」、またキリストにあっての神としての神が「ただ単に〔その「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方において「われわれのための神」として〕われわれにとってだけでなく、また〔「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」として〕ご自身の中ででもいます〔「自己自身である神」としています〕」というのでないならば、またキリストにあっての神としての神が、存在的にも認識的にも、内在的にも外在的にも、「われわれのための神」としての自由、「神とは異なるすべてのものによってなされるすべての条件づけ〔外的条件づけ〕からの神の自由、「すべての外的被制約性からの自由」、「神の独立性」として、神とは異なるすべてのものとのその「神の相違性そのものの中でだけ見ているだけでなく」、「自己自身である神」としての自由、「自存性としての神の自由」、神の自存性」として、この自存性と独立性の全体性の中で「いますというのでないならば」、「そのことは、神を信じる信仰にとって危険なことであり、最後的な根底において致命的なことである……」。すなわち、聖書の啓示証言は、われわれに対して、「神の栄光を証しすることによって、まさに〔イエス・キリストが〕栄光に満ちた方……として本来的なまことの神〔旧約聖書における「ヤハウェ」、新約聖書における神・「テオス」あるいは主・「キュリオス」〕であることを証ししている」。「聖書は、われわれを、〔イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて、キリストにあっての神としての〕神ご自身を信じる真剣な、本来的な信仰へと呼び出す」。このような訳で、「<主>がその<栄光>と一つであるというこの聖書的な単一性〔イエス・キリストは、「<栄光>〔聖、全能、永遠、力、善、あわれみ、義、遍在、知恵等〕の<主>であり給うという全体性」〕を証しし記述することが、神的完全性についての教説の課題である」。「聖書は、われわれに対して、神の栄光を証しすることによって」、「神のすべての栄光〔聖、全能、永遠、力、善、あわれみ、義、遍在、知恵等〕は、栄光の主としての〔キリストにあっての神としての〕神ご自身の中に集中され、集約され、統一されているということを証ししている」、それ故に人間の類の時間性における書かれた歴史に登場する「あらゆる種類の主権者、主人たち」、「世界史的個人」、「神の代理者および奉仕者を証ししているのではない」。「ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」。「自己自身である神」としての「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方における第二の存在の仕方、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>」)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」)、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」――この「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(Ⅰコリント321-23および311)。

 また、バルトは、「『神認識と神奉仕』について講演をし」、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて終末論的限界の下で贈り与えられる「神認識」(信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)と「神奉仕」を、二元論的に分離し対立させた理論(言葉)と実践(行為)という仕方で理解するのではなく、区別を包括した単一性において理解した、ちょうど第三の形態の神の言葉に属するわれわれは、聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」として、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋な教えとしてのキリストにあっての神、キリストの福音を尋ね求める「神への愛」(「教えの純粋さを問う<教会>教義学の問題、<福音主義的な>教義学の問題)<>そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う」特別的な神学的倫理学の問題、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請、すなわち全世界としての教会自身と世のすべての人々が、純粋な教えとしてのキリストの福音を現実的に所有することができるためになすキリストの福音の告白・証し・宣べ伝え)という連関と循環において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性を目指して行かなければならないように。すなわち、区別を包括した単一性において、「神認識」に包括された「教会の神奉仕(礼拝)と政治的神奉仕〔時代と現実に強いられたところで不可避的になすところの政治的実践〕」は、二元論的に分離し対立させてはならず、その全体性においてなしていかなければならないのである、言葉が行為へと、おのずから、自然に、必然的につれ出して行くというものでなければならないのである。このバルトは、政治的神奉仕、政治的実践における明確な原則を持っていた。それは、次のようなものである――「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」、「不毛な反抗や反論を避けて、西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まるべきである」、「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」。すなわち、両者から常に対象的になって距離をとり、両者に対して抵抗すべき時には抵抗すべきである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。

 

 19373、「ロンドンで三〇人の教会関係の幹部たちとの交流において、イギリス人の特別な気質」――すなわち、「自然神学敬虔主義1890年代のスタイルの歴史批評>、包括的教会これは特に英国国教会〔聖公会〕の自慢のスタイルであった)、道徳上の楽観主義活動主義的な気質を見出したイギリス教会関係者の『われわれは、告白教会のために何をすればよいのか』という問いに対してバルトはバルメン宣言第一項への厳粛な同意ですと答えた」(バルメン宣言に対するバルトの総括については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」の「2.成熟の書としての『福音と律法』への道程」の「19345」を参照されたし)。

 19379、イギリス旅行の帰路、パリでピェール・モーリィと会って、「新しい国際的神学雑誌『ドクトリーナ』の計画について……相談した」が、バルトは、「新たな妥協主義の危険に対する不安から、この計画を中止した」、それ故にバルトは、トゥルナイゼンやモーリィは参加したが、オックスフォードとエディンバラで開催された楽観主義的な、寛容主義、妥協主義に基づくエキュメニカル会議への参加を意識的にとりやめた」。何故ならば、バルトは、外皮的皮相的な「妥協主義に基づく公式のエキュメニカル運動には懐疑的であった」からである。「エキュメニカル運動」については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その2)の「2.成熟の書としての『福音と律法』への道程」の1930年から1933年までの間の時代の動向」を参照されたし。したがって、バルトはそのような国際的な舞台の上で……引き出すことができるものといえば……いつも相も変らぬ妥協〔党派性、党派主義、党派的多元主義の容認による妥協、妥協主義〕関の山でしかないと述べた。バルトは、次のように述べている――「教会の宣教をより危険なものにしてしまう」のは、「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということがなされないままに、礼拝改革とか、キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考える」ところにある、と(『教会教義学 神の言葉』)。同じ『教会教義学 神の言葉』で、バルトは、次のように述べている。すなわち、「自己自身である神」としての「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な三つの存在の仕方における第二の存在の仕方、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉(「最初の起源的な支配的な<しるし>」)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神(「神の顕現」)にしてまことの人間(「神の隠蔽」、「神の自己卑下と自己疎外化」)、「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」としての「イエス・キリストの<名>」――この「一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派〔教派、学派、思想傾向、主義、社会構成――支配構成、国家形態、文明や文化、時流や時勢、社会的な政治的な言説のそれ〕に仕えなければならないことはない……。一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」、と。バルトは、客観的な正当性と妥当性とをもって、「教義学的な合理主義を明確に否定し」、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」という自らの立場に立脚して、「『教会教義学』に対するそれは一つの閉じられた『正統主義的な』体系である」という恣意的独断的な、全くの無理解からする悪意に満ちた誤解と誤謬と曲解における「非難」を、根本的包括的に原理的に打ち砕いた、また「近代プロテスタント主義〔近代主義的プロテスタント主義的キリスト教および神学、自由主義的プロテスタント主義的キリスト教および神学〕の、ますます増大する粗暴さと退屈さと無意味さ」を、根本的包括的に原理的に打ち砕いた

 1937年の夏、『教会教義学Ⅰ/2』(「神の啓示<中>言葉の受肉」、「神の啓示<下>聖霊の注ぎ」、「聖書」、「教会の宣教」)が完成した。この書の完成は、もちろん終末論的限界の下においてではあるが、包括的に言えば、バルトが、「教義学的な合理主義を明確に否定し」、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学に立脚するという自らの立場において、第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)である神学に強力に巣食うすべての「『自然』神学」を根本的包括的に原理的に止揚し克服して、教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)である神学を、「『<非>自然』な神学」の<段階>へと移行させたことを意味している。このことは、それ以降の『教会教義学 神論』等においても貫徹されている。したがって、当然にも、このことは、最晩年の1968年(逝去した年)の『シュライエルマッハー選集への後書』(邦訳J・ファングマイヤー『神学者カール・バルト』「シュライエルマッハーとわたし」)まで貫徹されている。

ブッシュは、「『教義学自身が倫理学でなければならず、また〔区別を包括した単一性において、〕倫理学はただ教義学でありうるだけである』。……なぜなら、教義学が対象としている『教義』そのものが『終末論的な概念』だからである」と述べている。言い換えれば、バルトによれば、終末論的限界の下にあるところの、「キリスト復活」から「復活されたキリストの再臨」(終末、「完成」)までの聖霊の時代(中間時)における第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」としての<教会>教義学は、「神への愛」<と>「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」という連関と循環において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリスト活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性を目指して行かなければならないことからして、バルトは、区別を包括した単一性において、「神への愛」に関わる「教えの純粋さを問う」<教会>教義学(<福音主義的な>教義学)は、教義学と倫理学を二元論的に分離し対立させたところで構成される<一般的>倫理学をではなくて、「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」に関わる「正しい行為を問う」特別的な<神学的>倫理学を包括していると述べている。

 

 1938、バルトは、「バーゼル大学の神学部長に就任した」。その夏学期の「洗礼についての演習」で、「初めて『小児洗礼に対するカルヴァンの根拠づけに関してどうしても完全に否定的な結論に到達せざるをえなかった」。194357の記述も参照されたし。

 19383、バルトは、「〔ドイツ第三〕帝国がオーストリアを併合したまさにその時、アバディーンでギフォード講演の第二部を行うために、イギリスを訪問した」。この「講演の第十九講は、政治的神奉仕を内容としていた」。バルトは、その講演で、「政治的神奉仕には、〔国家の〕『ある種の政治的権力の保持者〔具体的には、政府・政権〕に対する積極的抵抗』を含むと主張した」。バルトは、時代と現実に強いられたところでの<不可避的な>政治的実践における原則を、観念の共同性を本質とする国家<共同性>の<暴力>(理不尽な権力行使)に対しては暴力(「武装抵抗」、抵抗の行為・実践)で、国家の<理念>に対しては理念で(革命の過渡的「問題」と究極的「問題」を明確に提起するという仕方で)という点に置いた。したがって、バルトは、「チェコのフロマートカ宛て書簡において……ヒトラーの武装の脅威と攻撃〔国家の暴力〕に対する武装抵抗を呼びかけた〔このような「国家の暴力」に対しては「武装抵抗」(暴力)で対応せざるを得ないのであるが、一方で国家の理念に対しては理念で抵抗するという問題も欠如させてはいけないのである、換言すれば観念的政治的な人間の<部分的解放>という、すなわち人間の過渡的相対的緊急的な<部分的解放>という、そして観念の共同性を本質とする国家を大多数の被支配としての一般大衆にどこまでも開いて行くという革命の過渡的「問題」<>人間の現実的社会的な<全体的解放>という、すなわち観念の共同性を本質とする国家の無化(死滅)を伴う人間の現実的社会的な究極的総体的永続的な解放という究極的「問題」を明確に提起しなければならないのである〕」。したがって、バルトは、「ルター派の『二王国論』〔「福音宣教から独立し、それと抵触しない『自己決定の権利』を国家に与えている忌まわしい」「二王国論」、二元論的な「二つの統治の区別」〕は、「教会の禍なる政治上の受動的姿勢の根本原因である」、それは根本的包括的な原理的な誤謬と迷妄性に基づくものであると主張した。先ず以て「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)ことからして、また「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている。国家は支配であり、文化は支配である」ことからして、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言はない」(『啓示・教会・神学』)ところで、あくまでも復活されたキリストの再臨、終末、「完成」時には、どのような国家であれすべての国家は完全に無化される(完全に死滅させられる)という言い切りにおいて、<過渡的形態>としては、それ故に相対的緊急的な意味においては、それが欧米・西側のそれであれ中国・ロシア東側のそれであれ、どのようなそれであれ、国家<共同性>に第一義性・価値性を置く国家主義的な国家<共同性>をではなく、大多数の被支配としての一般大衆の生と生活に関わる法案(政策)の採決には国民投票による過半数以上の賛成を必要とするという憲法規定によって国家<共同性>を大多数の被支配としての一般大衆にどこまでも開いて行くという仕方の中で、現実的な社会で具体的に生き生活する他者を現実的に侵害しない<個人主義>に基づいた(それ故に、他者を現実的に侵害する<利己主義>に基づかない「『すべての市民の責任ある活動の上に』建設される共同体こそが、福音にもっともふさわしい国家形態であると主張した」。バルトの言う時代と現実から強いられた<不可避的な>「国家への積極的な責任ある参与」は、革命の問題に引き寄せて言えば、革命の過渡的問題(最低綱領の問題)と究極的問題(最高綱領の問題)を明確に提起するということを意味していることは明らかである。また、バルトの言う「すべての市民の責任ある活動」について言えば、資本主義の高度化と自由主義国家の成熟は、また高度情報科学・技術の発達、高度情報社会の現出は、私的利害の優先意識<と>恣意的自由の優先意識を生み出し、価値観の多様化をもたらし、個、対(対の共同性としての家族)、共同性の領域において関係意識を衰退させ、共同体統括力を衰退させ、他者を現実的に侵害しないところで成立する個人主義を駆逐し、他者を現実的に侵害する利己主義を蔓延させ、その背後にある「暗さ」を認識し自覚していない非常に明るすぎる「軽薄な明るさ」の社会を現出させていることからして、現在、その認識と自覚を必要としている――「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ〔人モ家モ、暗さを包括した明るさを、明るさを包括した暗さを認識し自覚しているうちはマダ滅亡セヌ〕」(太宰治『右大臣実朝』)。

193810、ドイツにおいて、「バルトの全著作の販売が禁止された」。

 

 1939年夏、『教会教義学Ⅱ/1 神論』が書きあげられた。バルトは、「神の『完全性』を、厳格に〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている〕イエス・キリストにおける啓示から理解しようとした」。「この神の『完全性』は、神の『本質』と同じであると考えた」、「この完全性を『神の愛の』完全性そのものとして、また『神の自由の』完全性そのものとして把握した」、この「神の完全性の二つの形式を明らかにするために、……神の『一つの』完全性として、一対の相互補完的な概念をそれぞれ説明した――実例を上げると、神の恵みと神性、憐れみと義、唯一性と遍在などである」。詳しく言えば、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神は、「自己自身である神」としての自己還帰する対自的であって地他的な(それ故に、完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において存在している「父なる名の<内>三位一体的特殊性」・「三位相互<内在性>」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「一神」・「一人の同一なる神」・「三位一体の神」の、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中で三度別様な三つの存在の仕方(性質・働き・業・行為・行動、外在的本質、すなわち父、子、聖霊なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事<全体>)における神であることからして、バルトは、「神の本質の単一性と区別〔すなわち、神の本質の区別を包括した単一性〕」における、「神的愛の完全性」としての「神の恵みと神聖性」、「神のあわれみと義」、「神の忍耐と知恵」、「神の自由の様々な完全性」としての「神の単一性と遍在」、「神の不変性と全能」、「神の永遠性と栄光」について論じた(『教会教義学 神論』)。「自己自身である神」としての「三位相互内在性」における「失われない単一性」・神性・永遠性を内在的本質とする「三位一体の神」の「完全さ」・「自由さ」は、「われわれのための神」としてのその「外に向かって」の外在的な「失われない差異性」の中での三度別様な「三つの存在の仕方」の「完全さ」・「自由さ」である。バルトは、われわれ人間の「この世の徹底的な非神格化を意味する神の唯一性……について論じた」。

 193991、第二次世界大戦が勃発した時、バルトは、「心に苦悶を抱きつつも、一方でヒトラー体制の終焉が確かに始まった」ということを、「ナチズムとボルシェヴィズムとの連帯……が今や公然と明らかになった」ということを「信じた」。バルトは、そのことと同時に、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や〔国家<共同性>に第一義性・価値性を置く国家主義に基づいた〕自由国家にもほかの形で出没した」ということも認識し自覚している。日本における竹中・小泉路線がそれであったが、結局は、アメリカにおけるキリスト教も加担した新保守主義と結びついた小さな政府を目指す新自由主義も、国家<共同性>に第一義性・価値性を置く経済的自由至上主義であり至上市場主義経済化でしかないものである。

 193991、第二次世界大戦が勃発した。

1939年秋、「戦争がいよいよ激しくなり始めた時」、バルトは、「『教会教義学Ⅱ/2 神論』〔邦訳『教会教義学 神論』Ⅱ/12〕の枠組の中で予定論の章に到達した」。ブッシュは、その「予定論」(「神の恵みの選び」)から引用して、「1936のハンガリーでの場合(『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」)よりはるかに徹底的に……次のように考えたことによって」、バルトの「革新は実現した」と述べている。その引用箇所には次のようにある――「恵みの選びの教説は、決定的に、かつ明白に福音として理解されなければならない……この教説は然りと否との彼岸に中立的に立っているのではない……然りと否とをではなく、その実質において、その主張と根源と視野の中で然りを語っているということである。〔裁き、死を包括した〕恵みの選びは福音〔生〕の総計なのである」。したがって、それは、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」の内容の豊富化と深化、総括と言った方がよいのである。「イエス・キリストにおいて、まずある『個人』が選ばれたのではなく『教団』が選ばれたのである。……イスラエルは、自分の選びに抵抗する人間を表すために選ばれたのであり」、また一方で「まさに『開かれた多数』の前における『選ばれた教団』は神の恵みの福音を宣教するために選ばれたのである」。ここで、ブッシュは、「はるかに徹底的に」と述べているのであるが、ほんとうのところは、「『教会教義学Ⅱ/2 神論』予定論〔「神の恵みの選び」〕の章の内容」は、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」と全く同じ内容を踏襲したところの、その豊富化と深化、総括なのである。なお、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」については、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「9.『福音と律法』および『神の恵みの選び』について」の「B.『神の恵みの選び』(『カール・バルト著作集3』)について」を参照されたし。「選ばれた教団」については、『教会教義学 和解論』にも踏襲されている。マルクスは、『資本論』で、「ヘーゲルにとっては、思惟過程が現実的なるものの造物主、現実的なるものは、思惟過程の外的現象である」と述べている。ヘーゲルにとっては理性的なものは現実的であり本質は現象しなければならないから、現象とは、類的機能を持つ人間の自由な自己意識・理性・思惟によって反省的に認識され自覚され対象化され客体化された現実性のことである。ヘーゲル哲学を支えているのは、類的機能を持つ人間の自由な自己意識・理性・思惟としての「自己への信頼としての自信自恃の哲学であり、〔近代という人間中心主義における〕人間の時代の哲学である」。その「原理は、思惟と思惟されたものとの等価性の原理において、〔現実とは、意識された現実、現実の意識としてあるように、〕彼の思惟が思惟したもの〔対象〕の中に〔意識された対象、対象の意識として〕完全に現存し、その彼の思惟の中に彼の思惟に思惟されたものが〔内在化された対象が抽象され時間化された<概念>として〕完全に現存するという原理である」。このように、思惟に思惟を重ねて具体的普遍の頂へと高次化する思惟は、自然から超出した精神であるから、その頂を極めた「精神は、また精神自体としては神と全く同一である」。これを支えているものが、無限と有限との統一としての「究極的同一性である」。この「究極的同一性」において、人間の理性の思惟は神の理性の思惟と等価性を持つことになる、人間の理性は人間に内在する神的本質である。これは、人間からする、神の人間化あるいは人間の神化である。これは、「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆、神の自由を認識していないという事態である」、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を、人間中心<主義>に基づいて人間の側から全く無視し全く欠如させ全く揚棄し捨象し廃棄した事態である。このような訳で、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語るヘーゲル哲学において「啓示は、意識に対して存在するものすべてのものが、意識にとって一つの対象となる時のような仕方において現われる」、それ故にヘーゲル哲学において「啓示」は、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理では全くなくて、まさに一般的啓示、一般的真理そのものである、換言すればヘーゲル哲学において「啓示」は、フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で客観的な正当性と妥当性とをもって根本的包括的に原理的に批判したところのキリスト教における類的機能を持つ自由な人間的理性や際限なき人間的欲求やによって対象化され客体化された<人間自身の>意味世界・物語世界・神話世界、「存在者」、「存在者レベルでの神」、「存在者レベルでの神の啓示」でしかないものである。このヘーゲルは、国家<共同性>に第一義性・価値性を置いている(ヘーゲルの国家哲学)。この国家<共同性>に第一義性・価値性を置くヘーゲルは、人間中心主義において、「神自身にとって最高に必要であり必然的であるのは教団〔ただ類的機能を持つ自由な人間の自己意識・理性・思惟を通して発生し、またただそのような自由な人間の自己意識・理性・思惟を通して存続することのできる「共同体」(「『自然』神学」の<段階>における人間中心主義的な教団<共同性>)〕であって、その教団の精神であることによって初めて神は精神となり神となることができる」と述べている。このように思惟し語るヘーゲルの<国家>共同性価値論に対して、「聖書への絶対的信頼」に基づいたバルトの「『<非>自然』な神学」における<神学的な>共同性価値論は次のようなものである――それは、「教義学的な合理主義を明確に否定し」、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理、「恵ミノ類比」(啓示の類比、信仰の類比、関係の類比)、啓示神学、「『<非>自然』な神学」、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持する立場のバルトは、「個々の人間による和解の主体的実現という問題は、絶対に欠くことの出来ない問題ではあるが、〔第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている〕イエス・キリストにおいて客観的に起った和解の主体的実現は、まず第一に教団において〔すなわち、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とした第三の形態の神の言葉である教団<共同性>において〕、イエス・キリストの聖霊の業として遂行される〔換言すれば、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、まず第一に教団において、神のその都度の自由な恵みの神的決断による客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」に基づいて遂行される〕」(『カール・バルト教会教義学 和解論Ⅰ/1』)というものである。このことからして、ブッシュは、「いつ」、「どこで」、「誰に」ということを、またバルトの真の処女作としての『ローマ書』「第二版」の前か後かということを記述することはしないで、ただバルトが、「私自身は、〔まさに「『自然』神学」そのものの<段階>で思惟し語る〕ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでもヘーゲル的に〔まさに「『自然』神学」そのものの<段階>で思惟し語るヘーゲルのように〕考えるのが好きです」と話していたことだけを記述しているのであるが、しかも木を見て森を見ないという仕方でただその言葉だけを形而上学的に切り取って記述しているのであるが、すなわちただその言葉だけを拡大鏡にかけて全体化して記述しているのであるが、しかし、バルト<自身>の根本的包括的な原理的な立場からして、すなわちバルトの「主要な言明」、「主要な線」、「『<非>自然』な神学」的な言明」(「聖書的な『主要な言明』、『主要な線』、『<非>自然』な神学』的な言明)からして、神学における<思想家>であるバルトにとってはそのようなことは全くあり得ないことなのである。このような訳で、もしもそう話したことが本当のことだとしても、その内容は、徹頭徹尾ヘーゲルを<肯定的に>媒介するという意味では全くなくて徹頭徹尾ヘーゲルを<否定的に>媒介するという意味であることは明らかなことである。このことは、バルトの真の処女作『ローマ書』「第二版」にある「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>からして、また『ヘーゲル』で根本的包括的に原理的に批判するという仕方で、「ヘーゲルの哲学的手法に対して、受け入れ難く耐え難い最も重大でかつ決定的なものは、人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆、神の自由を認識していないという事態にある」、すなわちそのようなまさに「『自然』神学」そのものの<段階>で停滞し思惟し語る「ヘーゲルの強力な痕跡に」、「シュライエルマッハー以外の他の人々の所でも、……遭遇するであろう」と述べていることからして明らかなことである。したがって、もしもバルトがそのように話していたとするならば、それは、バルトの真の処女作ローマ書』「第二版以前のさらにそれ以前のことであること明確なことである。したがってまた、このような記述の仕方をブッシュが平然と所々でしていることからして、われわれは、ブッシュの記述を「そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がよい」のである。第二の形態の神の言葉である聖書の証言からして(「預言者および使徒たちのイエス・キリストについての言葉、証言、宣教、説教」からして)、客観的な正当性と妥当性とをもって、まさに最善最良の第三の形態の神の言葉である教会の宣教およびその一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学を構成したバルトを、わざわざ人々に「誤解させ、バルトに迷惑をかける」ことになるところの、また明らかな「誤謬に普遍性と組織性の後光をかぶせて語ろうとする」ところの、また「倦みつかれてはならない」と自分自身に言い聞かせながらレンガを積み上げるようにして積み上げられてきたバルトの神学的<成果>をわざわざ台無しにしてしまうところの、そのようなブッシュの記述に対して、私自身は「憎悪を感じる」し、私だけでなく人が「憎悪を感じ」たとしても至極当然なことなのである(吉本隆明『カール・マルクス』)。バルトは、『カール・バルト教会教義学 和解論Ⅰ/1』で、次のように述べている――「神の霊と人間の精神の全面的な区別が強調されなければならない」、そして「啓示の主体的現実〔信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事の実現〕を、人間の業としてではなく、〔徹頭徹尾神の側の真実としてのみある〕まさに神の霊の行為としてとらえることによって〔すなわち、「言葉を与える主は、同時に信仰を与える主である」ことからして、神のその都度の自由な恵みの神的決断による客観的なその「死と復活の出来事」におけるイエス・キリストの「啓示の出来事の中での主観的側面」としての「キリストの霊である」「聖霊の注ぎ」による「信仰の出来事」として、換言すれば客観的な「存在的な<必然性>」<と>その中での主観的側面としての主観的な「認識的な<必然性>」を前提とする、ととらえることによって〕、聖霊を、神の似姿の『唯一の現実』として、人間の『恩寵に敵対する態度』に立ち向かって戦うものとして、実存を超えたところにある神の子としての身分の創造者として理解しなければならない」、また「イエス・キリストにおいては、個と共同性は」、近代的に逆立し対立するのではなく、正立し「平和なのである」、それだけではなく「イエス・キリストにおける『神われらと共に』という言葉、キリスト教使信の中心は、〔教会共同性、教団共同性のような〕狭い共同体からその事実をまだ知らぬすべての他の人々、広い共同体に向かっての〔イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいた〕運動において完全に開かれている」、不信、非キリスト者、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれている、と。さらに、「神の霊」、「聖霊は、人間精神と同一ではない」、「人間が聖霊を受けることを許され持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、それ故に聖霊によって更新された人間理性も、換言すれば客観的な「存在的な<必然性>」<と>その中での主観的側面としての主観的な「認識的な<必然性>」を前提とするところの客観的な「存在的な<ラチオ性>」の中での主観的側面としての主観的な「認識的な<ラチオ性>」も聖霊と同一ではない、すなわち人間精神は常に人間精神であり続ける、人間理性は常に人間理性であり続ける、と述べている(『教義学要綱』)。その上で、「(聖霊と密接に関連して)記されている、真理の柱、真理の基礎とは、神の教団、イエス・キリストの教団、使徒ヨリノ唯一ノ聖ナル公同教会〔Ⅰコリント310-11、エフェソ214以下からする教団、教会<共同性>〕のことであってイエス・キリストと個人的関係を持つ肢々としての一人一人のキリスト者、キリスト者個人のことではない」と述べている(『カール・バルト教会教義学 和解論Ⅰ/1』)。これが、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストにあっての神としての神の特別啓示、啓示の真理からして、バルト言うところの<神学的な>共同性価値論である。

 バルトは、神の選びとしての「予定論のすぐ後に、神の戒めの教説を倫理学の原理論として置いた」。そのブッシュの解説――「倫理学はイエス・キリストの認識に基礎づけられるのであるが、それは、イエス・キリストが……聖化する神であると同時に聖化された人間でもあるからである」、「神から要求をつきつけられることなしには〔すなわち、神から、純粋な教えとしてのキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請としての要求をつきつけられることなしには〕、この福音を聞くことはできない〔この福音を、全世界としての教会自身および世のすべての人々は聞くことはできない〕」。「倫理学は恵みの倫理学である」という内容は、まさしく、『福音と律法』の内容の踏襲である。このバルトは、「バルタザールから多くの批判を受けた」が、その批判は、「本来的に印象に残るような反批判ではないものだった〔換言すれば、第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とした第三の形態の神の言葉である教会の宣教における一つの「補助的機能」(「教会的な補助的奉仕」)としての神学からする客観的な正当性と妥当性とをもった根本的包括的な原理的な批判ではないものだった〕」。

1939、「勝手に考え出されて、承認された、スイスの軍事的中立の統合的中立への解釈変更に対して、〔バルトは、〕初めから否と言った」。

 

 1939年末から1940年初め、バルトに対する様々な「非難や批判や反感をもたらしたバルトの決然とした抵抗を呼びかける公開書簡」において、彼は、次のように述べている――「『ヒトラー主義の中には、律法と福音、この世の秩序と霊的秩序、この世の権力と霊的権力との関係についてのマルティンルターの誤謬』〔すなわち、「福音宣教から独立し、それと抵触しない『自己決定の権利』を国家に与えている忌まわしい」誤謬、二元論的な「二王国論、二つの統治の区別」の誤謬〕」が、それ故に二元論的に分離し対立させられた「律法と福音」の枠組における誤謬が、すなわち「律法」は純粋な教えとしての「キリストの福音を内容とする福音の形式」、神の命令・要求・要請であることからして(『福音と律法』)、「律法の目標」を「律法の成就」・「律法の完成」そのものであるイエス・キリスト自身に置かなければならないにも拘らず、「律法の目標」をそのイエス・キリスト自身に置かないで、人間的な「自然法」や抽象的な「理性」や「民族法」へと転化してしまう誤謬が、「はっきりと現われており、それによってやがてドイツ人の自然的異教〔「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語る教会の宣教、神学、信仰〕は『イデオロギーに変容し……強化された』」。

 19404、比較衡量におけるナチス国家との相対的評価において自由および直接民主制と武装永世中立の緩衝国「スイスをナチズムからまもるために」、バルトは、「54歳の時、武装補助軍に志願し軍人になった」。「銃砲射撃訓練、軍事技能訓練も受け、兵器庫の前で歩哨にも立った」。「そして私は時折……心から喜んで……その九五パーセントは教会に行かない人たちであったが、説教をした。そして私はその機会に、ほんとうに人間に向かってなされる説教が、本来どのようなものでなければならないかをもう一度改めて学んだ」、とバルトは述べている。このバルトは、「聖書への絶対的信頼」に基づいて、「バーゼルの刑務所でイエス・キリストの復活の出来事について、ただ単に考えや夢の中にではなく、何か精神的にではなく、身体的に見、聞き、つかまえることできる形における弟子への顕現の出来事について説教をしている」――「復活の出来事がどのようにして……起こりえたか、また起こったか、……私はあなたがたと同じように、その理由を知らない。それは〔われわれ人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍からすれば〕人が信じないようなことだと言う以外に、単純な言い方はほかに存在しない事実、当時でさえも、解き明かすことは愚か、書き記すことや説明することはできなかった」、「イエスの復活は、徹頭徹尾神の業であって、そのようなものとして、最高度に良くなされたが、しかし最高度に理解し難いものである」、それ故に「当時でさえも、ただ認識され〔すなわち、信仰され〕、告白され、証しされ、宣べ伝えることができただけである」、「今日でも、ロシアにおいて、キリスト者は、お互いに、『イエス・キリストは甦られた!』と挨拶し、それに対して相手は、『まことに彼は甦られた!』と答える。このことは、説明ではなく、告白、証し、宣べ伝えである」(『カール・バルト著作集17 説教集<下>』「主を見た時 ヨハネ20:19-20」)。バルトは、「福音は、魂と体、天と地、内的と外的いのちのためにある」、「私たちは、身体的存在と理性的存在という全体的人間を考えなければならない、救贖〔終末、「完成」〕は全的人間のそれであるから、身体的復活である」と述べている(『バルトとの対話』)。これらのことだけからでも、次のようなバルトの異議申し立てが、まさに客観的な正当性と妥当性を持っていることが分かるのである――「(中略)私の神学的思惟は、神の主権と、キリスト教の使信全体の終末論的性格と、キリスト教会の唯一の課題としての純粋な福音の宣教の強調に中心があり、またそれにこれまで中心をおいてきた。現実の人間を考慮しない(『神はすべてであって人間は無である!』)抽象的な超越神、現代にとっての意義を伴わない抽象的な終末の待望、この超越的な神にのみに専念し、深淵によって国家や社会から分離された同様に抽象的な教会――それらすべては、私の頭に存在したものではなくて、私の本を読んだ〔それが、バルト主義者であろうと、反バルト主義者であろうと、中立バルト主義者であろうと、折衷バルト主義者であろうと、誰であれと、まさに誤解と誤謬と曲解に「普遍性と組織性の後光をかぶせて語ろうとする」〕多くの人々の頭のなかに、また特に私についての評論をしたり、一冊の本を書いたりした人々〔学者、知識人、著述家、牧師等々〕の頭のなかにのみ存在していた」(『バルト自伝』)。

 

 19423、バルトは、『教義学Ⅱ/2 神論』の「印刷が完成に近づいていた時、再び軍務に就いた。

 1942、バルトは、「夏学期に『創造についての教説』〔『教会教義学 創造論』〕の講義に入った」。「創造論の原理、中心点」は、「創世記の最初の二つの章の内容の展開にある」。それは、終末論的限界の下で、その「物語を語り直すことである」。それは、イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力に信頼」するということ、その<総体的構造>に信頼するということ、また「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」ことからして、時代と現実に強いられたところで「別の言葉で同一のことを言うことである」ということ、それ故に「キリスト教理の他の側面と同様に」、具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、聖霊自身の業である「啓示されてあること」、「キリスト教に固有な」類と歴史性、「聖礼典的な実在」)の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書を、自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」として、絶えず繰り返し、聖書に聞き教えられることを通して教えるという仕方で、「物語を語り直すことである」。したがって、それは、「『自然』神学」における「『自然的に』認識可能な『対象』ではない」。何故ならば、「聖書の中で物語られているもろもろの歴史」は、「史実史や神話ではなく、ただ、(一人、あるいは何人かの)物語者が物語られた歴史に対して、多かれ少なかれ(主観を交えて脚色しており、そういう意味で)干渉し、関与するという一般的な歴史性(Geschitlichkeit)を含んではいるが史実史(Historie)ではない歴史物語あるいは古譚の要素を持ったものであり」、それ故に「中立的な観察者として聖書の中に証しされている啓示の『史実的な(historisch)』確かさを問う問いは、聖書にとっては全く縁遠いものであり、聖書の証言の対象にとって異質なものであり」、それ故にまた「その聖書の証言に対して、それを聞くもの、見る者、信じる者である非中立的な観察者にとっては啓示〔すなわち、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身、「最初の起源的な支配的な<しるし>」〕、聖書〔すなわち、その「最初の直接的な第一の啓示ないし和解の概念の実在」としての第二の形態の神の言葉である聖書、「最初の直接的な第一の啓示の<しるし>」〕、教会〔すなわち、聖書を自らの思惟と語りにおける「原理」・「規準」・「法廷」・「審判者」・「支配者」・「基準」・「標準」とした教会の<客観的な>信仰告白および教義(Credo)としての第三の形態の神の言葉である教会の宣教、「啓示の<しるし>」の<しるし>の中に同時に啓示の秘義があったし、あり続けた」からである(『教会教義学 神の言葉』)。

 1942年夏、バルトは、「洪水のように増大したユダヤ人亡命者流入に深い精神的動揺を覚えた」。バルトは、「ベルン政府が一万人の亡命者の入国を拒否したという事実、受け入れられた亡命者の取り扱いが恥ずかしいものでしかなかった事実に大きなショックを受けた」。バルトの「ユダヤ人亡命者に対する援助の要求の根拠」は、次の点にあった――第一には、「ユダヤ人は、救い主の肉につながる兄弟であるというキリスト教的根拠にある」。第二には、「正義と憐れみの最後の拠点としてスイスを求めた」。第三には、「亡命者の中に、……われわれが免れていた運命を見た」。バルトは、「政治に関する限り、発禁処分中の著作家、講演者であるだけでなく、警察によって電話の盗聴もされていた」。

 

1943122、「トリポリが陥落し、31には「スターリングラードが陥落した」。

 194357、バルトは、「グヴァット(トゥーン州)で、『教会の洗礼論について講演をした」。ブッシュによれば、その内容は次のようなものであった――「洗礼というサクラメントは、人間の救済をひき起こす〔「因果論的」〕というのではなく、キリストにおける人間の核心を象徴的に形どることによって、人間に救済を証明する〔「認識論的」に証明する〕のである」。イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて純粋な教えとしてのキリストにあっての神としての神、キリストの福音を尋ね求める「神への愛」(「教えの純粋さを問う」<教会教義学の問題<と>「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(区別を包括した単一性において、<教会>教義学に包括された「正しい行為を問う特別的な神学的倫理学の問題)という連関と循環において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの活ける「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」共同性を目指して行くことの認識と自覚その決断と態度を介在させるというその帰結として、彼は、「小児洗礼の拒否と、受洗者は洗礼の受動的な対象であることをやめて再び自由な、すなわち自由に決断し自由に告白する……イエスキリストのパートナーにならなければならない」というものであった。バルトは、「洗礼慣習をこのように変えることによって……『コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)におけるプロテスタント教会の存在』の放棄、民族教会の今日の形態の放棄を目指した」。バルトの言うこの「コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)」は、「『自然』神学」の<段階>で停滞し思惟し語ることを繰り返すキリスト教的世界として総括できるものである。この意味においては、自由、人権、民主主義、政治的近代国家という概念は、「キリスト教という宗教の産物であり、神のアナロジーであるから、キリスト教は世俗的な価値の起源である」と述べた橋爪大三郎・大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』は客観的な正当性と妥当性があるということができる。バルトは、「教会が、小児洗礼と手を切るならば、もちろんもはや国家教会、また集団教会としての民族教会ではありえないであろう」と述べた。第三の形態の神言葉である「教会は、〔イエス・キリストにおける「啓示自身が持っている啓示に固有な自己証明能力」の<総体的構造>に基づいて〕人間が神に聞くというこの一事によって――神が〔先行して〕人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うことを〔後続して〕聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、それ故にそうでない時には、「どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」(『啓示・教会・神学』)。

 

 19442、バルトは、「ビールとキルヒベルクで、『イエスと国民』について講演し、『イエス』を……偽の『羊飼い』によって欺かれた……『人たち』とかかわりをもつ人物として描いた」。この講演は、「『教会教義学Ⅳ/2』〔「主としての僕イエス・キリスト」〕に収録された」。

 1944、戦争の終わりの時期に、バルトは、「教会教義学をたゆまず書き続けることに、自身の最も重要な寄与を見出した」と同時に、「スイス=ソヴィエット連邦協会と、ロシア人抑留者の救援活動等々にも参加した」。

194466、「〔連合軍の〕フランス侵入が開始され、第二次世界大戦の転換点であった」が、「新しい問題が迫って来るまで沈黙を守ろうと考えた」。

19447ボンヘッファーは、国防軍将校らによるヒトラー暗殺計画の共犯者として処刑された。説教(言葉)だけでなく正義としての政治的実践(行為)という、キリストの福音の言葉<>政治的な実践(行為)を二元論的に分離し対立させたところでの「政治的な死」は、まさに観念の共同性を本質とする国家的政治上における政治的な死そのもの」である。それに対して、区別を包括した単一性において、キリストの福音の説教(言葉)が政治的実践(行為)へとおのずから・自然に・必然的につれ出して行ったところでの死は、それが政治的実践上の死であれ、「政治的な死そのもの」ではなく、第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされているキリストの福音の繰り返しの説教(言葉)がそのような政治的実践(行為)へとおのずから・自然に・必然的につれ出して行った「キリストの福音の証人としての死」である。使徒行伝7章における「ステパノ(ステファノ)の殉教としての死」の本質は、ステパノをその殉教としての死に向かう行為へとおのずから・自然に・必然的につれ出して行ったキリストの福音の言葉>であった(『証人としてのキリスト者』)。このボンヘッファーについては、Jimdofreeのホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その1)の「8.「『自然』神学」に対するカール・バルトの「『<非>自然』な神学」について」(その3)の「<8>.ラインホルド・ニーバー」の中の「ディートリヒ・ボンヘッファー」を参照されたし

 1944723、バルトは、「デュレートで、『今日の時代におけるキリスト教会の約束と責任』について講演し、義人を救うためではなく、罪人を救うために来たり給うた方であるイエス・キリストの御前に明確に立つ民族は、神が審き給うたユダヤ民族とその民族と類似性を持つ……ドイツ民族である」、それ故に「神が審き給うたことを、われわれがもう一度審き直すということは、われわれの課題とはなりえない」と述べた。「今やこの十五年間の歴史だけでなく、もっと長い歴史の一章が終わった」。しかし、このバルトの感じ方、考え方、この思惟と語りを理解した者はいなかった。バルトは、「『第三帝国の崩壊』直後の最初の時期に、すでに姿を現わしはじめたあらゆる失望と脅威を見出した」――「キリスト教の使信をその根源から革新する問題や、その使信を今開かれた新しい状況に適用するといった問題よりも、形式的秩序体制に対する旧態依然たる関心やあらゆる新奇なものへの関心や教派主義と教権主義への関心や相も変わらず誰が指導者になるか、その人はどのグループの出身かが問題とされ、教会の会衆の問題は除外されたという事態を見出した」。第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した。公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心を見出した。私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルト自伝』)。

 

 1945年の初め、バルトは、「講演『ドイツ人とわれわれ』において、今や際限もないほど徹底的に打ち負かされたドイツに対するスイスのかかわり方について述べた」――「あなたがた、あまり同情できない人たち、ヒトラーの息子たちと娘たち、残忍な親衛隊の兵士たち、悪辣な秘密警察の無頼漢たち、悲しんでいる妥協者たちとナチ協力者たち、こんなに長い間、総統と呼ばれる男の後を、愚かにも辛抱強く走り続けたすべての家畜の群れのような人たち……わたしは……あなたがたが何者であり、何をしてきたかは問わない。わたしはただ、あなたがたがもうお終いであることを、また良くも悪しくも、いずれにしても最初からやり直さなければならないことを知っている。わたしはあなたがたに元気を出して貰いたいのだ。今からあなたがたと共に、新たにゼロから始めたいのだ! ここにいる人たちこのスイス人が何時も尊重してきた彼らの民主主義的社会主義的キリスト教的理念のゆえに高慢になってあなたがたに関わろうとしないときでもわたしたちはあなたがたを招いている」――このバルトは、『証人としてのキリスト者』で、「心を頑固にし福音を認めない人間や異教徒に対して、恵みから語り、恵みについて語るという以外のことをなすことはできない。すなわち、そうした人々に呼びかけることができるのは、私がその人をその中に置くことによってではなく、〔徹頭徹尾神の側の真実としてのみある主格的属格として理解されたローマ322、ガラテヤ216等のギリシャ語原典「イエス・キリスト<の>信仰」(イエス・キリスト<が>信ずる信仰)による「律法の成就」・「律法の完成」そのもの、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、「成就と執行、永遠的実在として」成就され完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(この包括的な救済概念は平和の概念と同一である)そのものであるイエス・キリストがすでにその人をその中に置いてい給うことによってである」、それ故にわれわれはキリストにあるものとしての人間のために努力し得るにすぎない

 

 (文責:豊田忠義)